フィルムスキャン&プリントのS、 鈴木写真変電所
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 鉄電の古豪あり、京急ガラ車体あり、新性能車ありの「イヨノミクス」だった時代
 ※鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり67(和久田康雄氏、石本祐吉氏共著)を特に参考にさせていただき、一部数値を引用させていた  だきました。著者、出版社に厚く御礼申し上げます。
  伊豫の特産品の「ミカン」の影響か?一部は毎度の「未完」ながらアップ。何時か補遺する予定です。
  なお、手持ち写真の無い形式については全て省いています。
伊予鉄道モハ120形122
 ↑伊予鉄道で一番撮影したかったのはもちろん120形シリーズの京急ガラ車体。
伊予鉄道モハ300形運転台
 ↑↓店主が一番驚いたのが303編成

   松山市駅から乗車した横河原線の旧型車の運転台にへばりついて驚いた。
   運転台に見慣れた主幹制御器とブレーキ弁が無い!ノッペリしたコンソールBOX?があるだけ。
   しかも乗客が乗ってくると車外から「シューッ、シューッ」と言う音が聞こえ、車体が僅かに揺れている。ま、まさか!
   運転士さんがやって来てノッペリしたコンソールに前後進用逆転レバー、やや太めのTバー形ノッチ、同じ形で細身のブレーキを
   差し込むではないか。
   3本もジャラジャラと持ち歩くのは大変だなぁ~。とは後になって気がついたこと。

   電気指令式ブレーキ、カルダン駆動、空気バネ台車を装備した信じられない車両だった。
   その走りは地方私鉄では驚きのものだった。
   特に隣県の
   「古き機器の性能を伝承し、制御方法を古来に融合させる併結技術」鉄道会社とは一線を画した編成であった。
   一方でこの編成は「生い立ちの車体を尊重して新技術で走る」というアンバランスさが出色であった。
   おかげで近江鉄道の吊掛電気指令ブレーキ車群の運転台のアンバランスには驚いたが、伊予鉄ワクチンが効いてしまったのか
   この時ほどは驚かなかった。

   下の写真を御覧頂くとコンソールの右側には旧来の押しスイッチ群、左側のスイッチは当時最新のNFB(ノンヒューズブレーカー)
   超平面なコンソールBOXにはスピードメーターと元空気溜2針圧力計が真っ平らに取り付けられている。時代の新旧を見るよう。
   メーターの右側のレバーは「連解結」スイッチではなく、灯類前後切替スイッチのようだ。なぜなら前面は「自動連結器」である。
   そして、左側の2個のダイヤモンドカットのデカイ表示灯はネームタグに「電制」、「最終段」と表示されている。
   最終段が「青」で電制が「オレンジ」だったような、あやふやな記憶。

   <余談>
   小田急と西武にノッチ最終段表示灯があって、並列、弱め界磁と順に最終段にカムが到達するとランプが点灯する。
   張り付いる店主は、さぁ~イケイケ!と、わくわくしたが、そう思った途端、規程速度に達して大抵ノッチを切られる。
   自称「野津地恩四郎」はがっくししたもの。
   西武の表示は電照式で小田急の小さな青ランプと銘板より格好良かった。 
伊予鉄道モハ300形303、304運転台
伊予鉄道モハ304 fs397台車 伊予鉄道サハ502 FS097台車
 ↑モハの台車は住金蛸壺軸バネタイプの空バネ-FS397
  この系列で吊り掛け用もあるが、れっきとしたカルダン駆動。
  この手のタイプはブレーキシューの交換がやりにくいと言う。 
 ↑サハも同じ。駆動装置取付座無のFS-097(下2桁が同番号)
 ※こんな写真使うなよとお叱りを受けるのは必定で。$(_ _)$
 床下にはMBS型応荷重装置付全電気指令式電磁直通ブレーキ
 (保安ブレーキ付)制御箱が吊り下がっているハイテク車両
サハ502車内
 ↑サハ502車内。
  最新型電空制御器にエアサスペンションで支持する板張り床仕上げの半鋼製車体。一段下がるステップの鉄板が見える。
  その後、ステップは埋められて乗務員室ドアと同じ高さに変更された。↓乗務員室のドアだけが高い位置の写真
伊予鉄道モハ304-サハ502-モハ303編成
■303F竣工から高性能化前
  昭和25年、日立製作所で郡中線電化用に4両(301~304)製作された鈍重な風貌の14m2扉車。
  同時期に落成した帝国車両製のなぜか2m長い16m車のクハ400形を間にはさんでMTM編成で稼働していた。
  昭和36年モハ300の車体は短過ぎる?と、収容力アップのために車体を継ぎ足し3ドア化、客窓も4個増しての車体長18,200mm
  を延長(全長19,010mm)。クハが逆に2m短くなってしまった。
  元来、主電動機は301、2は日立50KW×4、303、4は三菱60PS(0.75換算48.75KW)×4であったが、303、304のモーターが、
  調子よいと判断されたのか、1台車1個づつ抜き取られて合計4個がモハ106用に回されてしまった。
  この時に303の制御器が市内線車両に転用したとある。と言うことは、新たに303に何らかの制御器を取付たのであろう。
  結果、クハとは組まず、常に4個モーターの301-303、302-304と組成されていた。(昭和36年時の記事)
  しかし、昭和46年2月にサハ500形を2両を編入して、出力が不足して組まないはずの付随車を入れてMTMとなった。
  仮に303-502-304で組めば1M2T相当である。これではいくら何でも軽便電車並みの編成性能だろう。というのが店主の推論。
  常識的には上記の主電動機4個+2個編成(例:301-303、302-304)にサハをはさむ以外考えられない状況である。
  力不足は明白で、昭和49年7月10日に主電動機増設を行った。この時に303の制御器を交換していることから、主電動機を同種で揃えるため、304に303の2個を渡し、303に新たな主電動機4個を積んでだのではと思われる。
    と、ここまでは何処でもあるような下回りの変遷記事だが、
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  昭和52年6月この編成に画期的な事態が生じる
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  下回りをカルダン駆動、全電気指令ブレーキ、エアサス新品台車に走行関係機器を一新。
  編成全体がエアサス仕様になった。サハの台車の製造時期が電動車より遅れたという話もあるが、その間サハは外されていた
  のか、3両揃ってから稼働したのか、それとも書類上なのか。なにせ古い台車では電気指令ブレーキは使えない。
  旧型の車体がシューシュー言いながらキビキビ走ってきっちり止まる。
  店主が乗車したのはこのようになってからだから、驚いたのなんの。
 
 ※手持ちの図面資料による:資料日付は設計変更認可日(書類上の日付)です。記載を省略した事項もあります
  昭和25年5月4日  日立製作所製の14m級の小型車として登場。
  昭和36年2月21日 車体を約5m延長。同時に不燃化、コロ軸受化、蛍光灯化。
  昭和49年7月10日 主電動機を4個に戻す(2個増強)、MG取り付け室内灯回路変更昇圧、303制御器交換
  昭和50年7月4日  運転室拡張、運転台中央移設。同年11月25日扇風機、暖房機取付
  昭和52年3月25日 出力増強(高性能化)同年6月住友FS-397化主電動機75KW/375V×4 歯車比98:15(6.53) 
  
 中間車サハ502
  昭和46年1月27日認可。車体長15,240mm(全長15,926mm)同年2月使用開始。
  昭和49年7月10日 貫通側全車棒連化、MG撤去
  以降モハに準ずる
  複雑な経歴で簡略には院電木造車→東急(鋼体化)→4両が上田交通へ譲渡になる。自重が24.5t(伊予鉄時代)もあるのだから
  勾配線だらけの上田交通は貰ったけど4両も不要と判断したらしく、貰いすぎ?の2両を(西武建設)所沢工場に渡した。
  この車両を甲種回送するに当たって信越線を下ってきたのか上越周りだったのか興味津々。
  外板張り替えたり、ステップ切り欠いたりしてガラを再生。
  西武所沢工場は、今で言うところの「リサイクルショップ」
  書類上新車にするお得意の手法で、46.1.27設計認可で昭和46年2月新車、サハ501、502として入線した。 
  木造床張りで活躍していたが、以下の車両も含め、廃車時期については手元不如意のため記載してません。

  本来、想定していない車両編成にサハをはさんでしまった思い出の2社会社名秘匿(苦笑)
   ・輸送力逼迫でやむを得ずの印象  
    501系の2M4T編成。体験してみたかったその加速度。満員の乗客乗せて加速時のモーターは凄いことになったのでは?
   ・昼寝させておくのも・・・の印象
    700系MTTMをMTM化して抜いたサハを75KWモータを搭載した非力1000形6両に2両挟み込む荒技。

伊予鉄道モハ300形304
伊予鉄道モハ300形304床下-1
伊予鉄道モハ300形304床下-2
 ↓たった数コマしか撮影できなかった京急出自のモハ120系
伊予鉄道モハ122-クハ421-モハ121
 ↑モハ120系(モハ121、122、123、クハ421)
  大東急時代の昭和22年に三井造船玉野造船所という鉄道車両製作の実績が?製造の車両を京急に10両配給?されて
  使用していたものの、専門会社の作った車両じゃないので、造作や構造が違うため、保守しにくく使い勝手も悪かったよう。
  約20年働いて、部品を供出し、事実上、抜け殻となった車体は、(西武建設)所沢工場で買い取られて整備の上、地方私鉄へ
  全車売却された。譲渡もあったか?あやふや。
  
  伊予鉄では編成用としてモハ3両クハ1両の計4両を購入した。クハは前面が貫通式になっており、事実上サハとして3両編成の
  中間車で使用されていた。京急の前面の面影を眺められるのは、モハ3両のパンタ側だけ。
  入線に当たってはホームの高さに合わせたステップの切り欠きを行っている。
  その後、横河原線のラッシュ時4両編成用に、122の高浜側と増結用123の横河原方の連結器が電連付きの密着自動連結器化
  された。
   
   どうにかして旧車番がたどれないものかと、当時、京急の関係者に質しても車番も外してガラで売っちゃった物は「判らない」。
  と、ある時、先輩ファンが搬送中の写真を見せてくれた。車体隅に手書きチョークで旧番号がマークされていたのみ。
  風雨で消えるような状況ではないか。さらに、「新製」として堂々と書類が作成されているのだから前身があってはいけない。
  理由はこれなの~。と言う次第。
  ただ、本当はメモで誰かが残しているのかも知れない。かといって今、メモだと言われてもその真偽が・・・。考証は難しいものだ。
  
  場所を変えて120系121Fをあと数カット撮りたかったが、時間の関係で叶わなかった姉妹。←シャレのつもり

  なお、120系でもモハ124、125号の2両は小田急の1900形。
 
 ↓伊予鉄初の高性能新形車モハ600形
伊予鉄道モハ601号

 伊予鉄初の高性能新形車。
  懐かしい響きのある「ナニワ工機」製
 →アルナ工機→現アルナ車両。
 中央の運転台部分を大窓にして両サイドの窓で通風を確保する
 鉄道用としては、非冷房時代の斬新なアイディアである。
 逆に冬期間は閉めても、すきま風で寒かったかも知れない。

  登場時、客用ドアはホーム高に合わせてステップがあり、ドアの下辺が車体のライン近くであった。
  その補強としてドア下にリブが付いており、写真のような一直線の車体ラインでは無く、ドア毎に魚腹形のリブがデコボコしていた
※写真は車内ステップ撤去後
  M-M’ユニットがウリだが、各台車の車体中央寄りの1軸にモーターを積む方式で編成合計4個の電動機であった。
 
 2両かつ他編成との連結が出来ないので、混雑時は「お茶っぴき」状態になり、最新型がこれじゃぁ「イズマ」と地下化で出物になった長野電鉄の1102号(中間車)を購入。
 良く探したと思うのだが、気軽に頼めるバイヤーがいたのかも。
 M-M’ユニットなので602号を中間車化。
 1102号の運転台に 602号のお面の部品を移植し、非貫通運転台化したうえで3両固定編成化した。
 この編成は伊予鉄初の全電動車編成となった。
 ※車軸数に対しては2M1T相当
 
 603号は601号と比較して2扉、車体裾を丸めた日車タイプ。雨樋処理や前照灯上の旗差?パイプが無い等の相違がある 
伊予鉄道モハ601前照灯
伊予鉄道モハ603 (長野電鉄モハ1102)

 ↑日本車輌の裾R付き車体なので、前面下部もきれいに丸い。

 →→長野電鉄時代の1102の運転台部分。

 パンタグラフをはじめとする部品は602号のものを移設使用したため、2扉両開きでも編成美感のある「名改造」である。
 601-602がコイルバネ台車のため、主流になりつつあった空気バネを使用せず住金FS-504コイルバネとして不等沈下を防止。

  台枠のカーブをうまく利用して,貫通路を埋め、602号の窓サッシやガラス類を取り付けたのではないだろうか。
 ヘッドライト枠と尾灯はそのまま流用しているのがわかる。

 仕上がった603号はウーパールーパー顔に見える。
  伊予鉄唯一の2扉、両開きであった。
  主電動機は電架線圧750V仕様?75kw(375V)×4、
  歯車比15:98、
  全負荷における牽引力は(弱め界磁75%時)2940kg、
  速度37km/h

 対する601-602はペアで
  架線電圧600V仕様75kw(300V)×4(2両)歯車比16:97、
  同上牽引力2320kg(全界磁?)速度34.5km/h
 
 603の電装に当たり、601-602の加速力曲線や電制ノッチに近似した性能を割り出して走行部品を発注したのだろう。担当者は苦労したのでは無いか。
 また、長野からの輸送に際して運転台向きを高浜側に出来るよう車体を輸送する時点で工夫があったと思われる。
 長野電鉄モハ1100形1102
伊予鉄道モハ603(長野電鉄モハ1102)
 ↑603の連結面側から台車はFS397の空バネ部をコイルバネに置き換えただけのようなFS504台車
 長野電鉄モハ1102
↑長野電鉄時代の1102号 この台車はシブイ!このままノッチ協調、電気指令ブレーキにしたら伊予鉄名物になったかも。
  台車の形式は「UD-26」。UDと聞くと日産ディーゼルのトラックかと思ってしまうが、帝国車両製で台数が少ない貴重品らしい。 
伊予鉄道モハ602
↑中間車化された602号
  台車はDT21似の日車ND-104。
  国鉄の開発した台車やスタイルを後追いする風潮は2014年現在、未だに変わらない。
  この頃のメーカー各社の開発担当者は最新スタイルのモハ101の台車でね!
  と言われるのか、売り込むのか。エセDT21がかなり作られている。
  それ以前はかなりの種類の台車が複数メーカーから百花繚乱状態で供給されたが、部品在庫の抑制と融通という効率主義の
 世の中になるにつれて、様々な技術が争う状況ではなくなり、メーカーと種類が絞られてきた。
  数年前、ある有名メーカーの台車開発担当者の人数を聞いたことがあったが、「眼が点」になる人数だった。
  独創性よりもコピーから始めよ・・・。
伊 豫 鉄 電 の 車 両
 
  廃車までの近年編成モハ100-クハ400-モハ200(→松山市方) 
 松山と三津の間を走る電車は古老の方々に「鉄電」と呼ばれている。
 御案内頂いた検車区の方が「鉄電」と言うので、知識ゼロの店主がの「電鉄」ではないですか?と問うと、ほらこれ見て!と
 車体の銘板を指さしてくれた。「伊豫鉄道電気」という会社名称を知ったのはこの時であった。
 今、この銘板を見るに伊豫の「豫」なら「鉄」も「鐵」の方が統一が取れているような気がするけど・・・。 
一族変遷
 (1) 昭和6年~昭和24年 モハ100形+モハニ200形のMM編成がまで続いた。(伊豫鉄道電気時代の製造)
 (2) 昭和24年~廃車までクハ400形を挟んだ編成となった。(昭和17年4月1日伊予鉄道に社名変更後の製造)
 (3) 昭和33年~36年、モハニ200とクハ400を貫通固定編成化。
    クハ400とモハ100の連結部分を貫通化して切り離し可能に
 (4) モハ100のパンタグラフを高浜側に移設。時期未調査
 (5) モハニ200→モハ200になった。時期未調査
    クハの電装などは別項参照
 モハ100-クハ400-モハ200の固定編成は昭和59年から104Fを除き昭和60年の間に廃車になった。104F昭和62年に廃車。
なぜモハニが誕生?
 当時、本土と島しょの連絡口として高浜港が利用されており、手荷物室が考慮された。(松山観光港=新港とは違う)
 その後開通した郡中線も郡中港があるのでその両線に運用された。
伊豫鉄電銘板
伊予鉄道銘板
↑伊豫鉄道電気の「鉄電」銘板 206号
 106号は帝国車両製クハ406電装化。社名変更後の製造
伊予鉄道モハ100形102
 ↑製造当初の面影はリベットと両運転台の片方を客室化した小窓が残る、ステップは切り上げしている。リベットは技術遺産!
伊予鉄道クハ400形402
↑クハ402 最大寸法16,210mm。401~406の6両新造。406は昭和27.1新品の機器で電装されてモハ105に改番。
  クハ405は昭和36にモハ303の電気品流用してにモハ106となった。
  
↓クハ406 この車2代目。
  初代のクハ406は電装してモハ105に。その補充としてS26末(S27.2設計認可)ナニワ工機でクハ407(→クハ405に改番)とともに
  製造された。この2両はドア間の窓数が1つ多く2個増加。最大寸法が16,800mmと590mm長くなっている。客窓幅は細くなった。
 伊予鉄道クハ400形406
伊予鉄道モハ100形106
 ↑クハ405から電装されてモハ106に。車体長が違う扉1つ多い3扉のモハ。後に銚子電鉄でモハ801となって2009年まで活躍
伊予鉄道モハ100形103
 ↑100形は2扉(モハ105,106除く)
  100形は高浜寄りに組成される固定編成になった。
  (高浜側)モハ100-クハ400-モハ200(松山市側)
  パンタグラフの位置を固定編成化の際に高浜寄りに移設した。そのための母線が屋根を這う。リベットが残る頃
  パンタを先頭に持ってくることを発案した方には敬意を表したい。電車はこうあるべきが店主の感想。(失笑を買うが本気!)
伊予鉄道モハ(モハニ)200形206
 ↑206 前面が逆光なので、思いっきり明るくしたら、下回りと側面ががごらんのとおりの階調に。まぁお遊びと。鉄電銘板くっきり
伊予鉄道モハ(モハニ)200形206
 ↑200形はモハニとして誕生。固定編成化の際にモハに改番された。当然荷物室(風)は撤去。
  運転台のあとにドア、ドア窓ドア、ドア窓と、この間の窓は開かないため通風が悪い。
伊予鉄道モハ(モハニ)200形203
 ↑モハニ203は古町車庫の火災で消失したが、車体の扉位置を変更して再生した。
  このため、唯一モハニ200形の中で唯一ドア位置が違う。その後モハと改番されてモハ203と車内見附と正当な付番となった。  
京王からの転入車両(モハ133~136、サハ511、512)
伊予鉄道モハ120形124、130形133
 ↑124号と並ぶ元京王1402号を(西武リサイクルショップ所沢工場店←店主命名)から半完成キットで購入。
  古町工場で西武の足回りで組み立てて完成。 133と134はウインドヘッダーとウインドシルにリベットが残る。
伊予鉄道モハ130形133
 ↑133編成 133-511-134
伊予鉄道サハ510形511
 ↑サハ510形511京王デハ1802 アルミサッシュが「ゴンぶと」一見、東急池上線で動いていたのかと思われる張り上げ屋根。
伊予鉄道モハ130形136
↑モハ136 足回りがよろしいようで・・・。
伊予鉄道サハ500形512
↑サハ512 
↓以下、モハ135の足回り 
伊予鉄道モハ130形135床下-1
伊予鉄道モハ130形135床下-2
伊予鉄道モハ130形135床下-3
伊予鉄道モハ130形135床下-4
以下、モハ206の足回り
伊予鉄道モハ200形205床下-1
伊予鉄道モハ200形205床下-2
 ↑↓206-406-106と番号揃いが好ましいこの編成は扉の数で言えば3扉で統一。場所の違うのは206 リベットが目立つ
伊予鉄道クハ400形406
↓ モハ106の足回りエアタンクからフトイパイプが
伊予鉄道モハ100形106床下
伊予鉄道モハ100形106パンタ周り
 モハ110、クハ410
 ↓西武鉄道で大量に発生した廃車が、自社のリサイクルセンター西武所沢工場店(店主命名-笑)経由で地方私鉄に売却、譲渡されて
  電車になったり客車になったりの川造西武車。伊予鉄にもやって来ました!その数モハ4両、クハ2両の合計6両
  伊予鉄ではモハ110、クハ410の形式が付番された
  屋根が手直しされて、クハ412を除いて、特徴ある各客ドア上の「ヘ」形の雨樋が撤去されている。
  ホーム嵩上げ前の入線だったので、当初の運用は元々ホームレベルが910mmと高い郡中線の専属運用だった。
  ※ホームの高さは横河原線は457mm(DL牽引)、高浜線762mm 
伊予鉄道モハ110形114
 ↑増結ポジションの114。両運転台 お椀形ベンチが並ぶ。お椀のサイズはC~Fカップとかのサイズが・・・(オヤジィ~)
伊予鉄道モハ110形密着自連電気連結器付
 ↑↓自動連解結のために電連密着自連(M式?)きっと「電気車の科学」に広告を出していたユタカ製作所の製品。
   他車も含め伊予鉄のかなりの釣合台車の軸箱がムキダシくるくるの密閉式コロ軸受?になっている。
   時期的に非常に早い類の改造?
伊予鉄道モハ110形の台車
伊予鉄道モハ110形113
 ↑↓ 113号 撮影時はモハ113-クハ412-モハ124と棒連結器で3両が固定編成となっていた。
伊予鉄道モハ110形113
伊予鉄道クハ410形412
 ↑クハ410形412 事実上のサハなのだがクハの形式を死守していたような当時の伊予鉄。サハにすれば機器検査代金が・・・。
伊予鉄道モハ120形124
 ↑クハ412と棒連で固定されたモハ124 元小田急1902
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