津軽鉄道撮影
1974年(S48)~折々撮影記 (その2)

2025.10.05 UP 
2025.10.09 Ver1.03
津軽鉄道キハ2403
 ↑訪問当時のキハ24形の新旧交代
奥:キハ24003、右端はキハ24020番台(番号不明)
蒸気機関車から内燃動力化へ
ガソリン動車の導入へ
導入当初のガソリン内燃動車は小型で主にオフピークの使用だった
1932(S7).04に日車製全長10,320mmの片ボギー車キハ1形荷台付きガソリン動車の導入、1933(S8).04に日本車輌で全長12,520mmのボギー車キハ2形を導入した。
この頃のガソリン機関名はキハ1がゾダDW6形、キハ2がウォーケシャ6SRKと本気の外国製の名称が印象的である
■キハ1の変遷
燃料統制や戦後の苦難を乗り越えて1949(S24)02.01キハ1は動軸側の荷台撤去で全長が9,520mmと短縮され、機関を取り外して客車代用とされた。形式はハ1形ハ12に
その後、1955(S30)06.20にハ5に改番され、2年後の1957(S32)02.07に廃車された

■形状・性能は異なっても延々【キハ24】形式が爆誕??

■キハ2はガソリンエンジン→ディーゼル化は1933(S8)04.14に設計認可されたものの、騒音が大きく、翌年1934(S9)04.30設計認可で→再度ガソリンエンジン化→戦後になって日野製ディーゼルDA55Aに再度吊変え、新型キハ24増備される時点で形式改称※キハ24を冠したキハ2401が登場した
※店主思うに吊変に時はキハ2のままで、下記の仙鉄式付番導入に当たり1950(S25)10.30の新車導入時に在籍車としてキハ2401に変更したものと思われる
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【仙鉄式附番】
1941(S16)08.23付で仙台鉄道局が新潟、山形を除く東北各県の私鉄に「機関車形式称号整理方」という文書を通達した。
なお、貨客車の仙鉄式付番は第2次世界大戦後の1950(S25)頃に定められた
・機関車
:機関別(内燃はD)、軸数をアルファベット、自重を「t」単位、番号
 津軽鉄道ではDC201、DD351
・旅客車:機関別(内燃はキハ)、1400代は二軸車、2400代は鋼製ボギー車
 1950(S25)10.30認可で新造気動車2両の導入に当たり、既存のキハ2をキハ2401に改番、続番としてキハ2402,2403とした。
以降、お上に弱い私鉄はこの付番方法に改めていくことになったが、津軽鉄道では1975年の附番を最後に仙鉄式附番と決別する。
■仙鉄式附番導入以降、内燃動車の形態が変わっても
1975年導入の国鉄キハ11形まで「キハ24」が先頭に付く事になる

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■ディーゼル機関車入線で無煙化達成
 1952(S27)04に新潟鉄工所で箱形で前後運転台付きのディーゼル機関車DC20形2両が入線した
 平面な前面の3連窓上にカーブしたひさしを個々に取付けたハイカラなスタイルのDC201,202の2両が新たに導入されたとはいえ、足回りは蒸気機関車と同じ3輪ロッド連結駆動でC形蒸気とほぼ同じ、カマがディーゼル機関に変わっただけの代物で、当時の内燃機関及び伝達機構等の技術力の低さや鉄道側の保守対応が遅れているのが問題だったよう。
※動輪・ロッドはどこぞのCタンクのモノなのか?怪しさ100倍
■蒸気機関車の引退
 これによって1929(S4)日立製の3両の蒸気機関車
 C351は1952(S27)07.19
 C353が1953(S28)04.30
 ※この間にDD351が1960(S32)12.05に稼働開始
 C352が1960(S35)02.17
 に引退、除籍されて無煙化を達成した
■DC20形ディーゼル機関車の廃車
 箱形車体の
 DC202は約9年在籍後1961(S36)05.10に廃車、東野鉄道に譲渡 
 DC201はDD35形入線の後、約4年の引き継ぎ期間?、在籍約13年をもって?1964(S39)に同鉄道に譲渡された
※東野鉄道は1968(S43)に廃止され、DC202入線から約8年にも満たない活躍だった
 DC201は廃線後、所沢工場で保管され1970(S45)から車体をL形に改造されて工場内のスイッチャーになった 
■DD35形
 DC20形入線から約5年後の1960(S32)に本格的なディーゼル機関車DD35形2両が導入された
 キハ24 (02,03)
津軽鉄道キハ2403
  ↑キハ2403
キハ2402,03の2両が製造されて活躍した
■本格的中型気動車の導入
1950(S25)10.16に全長16,220mmの新潟鐵工所製で国鉄キハ04形を模した車体であるキハ2402、同年12.24にキハ2403が入線、やっと内燃動車による中量輸送が可能となった。
※車体長はキハ04に比べて500mm短い
※ 国鉄のキハ04は1934(S7)にガソリンエンジン搭載でデビューし、戦後にディーゼル機関に換装したが、津鉄はディーゼル機関が普及した頃の新規製作で日野DA55形ディーゼルを搭載した
皮肉なことに約2年後の1953(S28)から国鉄がDMH17(縦型)を吊下げたキハ17形(旧形式キハ45000)の量産を始めており、津鉄のキハ2402,03は新車とはいえ旧世代のデザインだった

この時点で気動車は一時、小形(キハ2401)、中形(キハ2402,2403)併せて3両体制となった
ただし、中型2両の体制では通勤通学の輸送力に不足でダイヤも組めずどうしようも無い状況
当時、キハが客車を牽引している写真もあって、津鉄のDC牽引PCは歴史が長い
元来、輸送力列車はC35形蒸気機関車3両が国鉄払下の木造客車を数両牽引していた
■廃車
キハ2402:1971(S46)
キハ2403:1975(S50)
キハ24 (04~06) 
元三岐鉄道の両端荷台付き小型車
■1956(S31)三岐鉄道の電化により不要となった5両の日本車輌1931(S6)製全長12,920mmの小型気動車のうち3両が転入した
津鉄では中里側に荷物扉と客室化された手荷物室とした
※三岐時代エンジンは当初ガソリンだったが、後にディーゼルの相模-80 80PSに更新、さらに車体を延長して両端に荷台を取付た
車体に同じく小出力だが、貨車を入換や牽引していた
<■形式車番はキハ2400形2404~06となった
キハ2404は1957(S32)04.24譲受(三岐キハ3)
キハ2405は1957(S32)04.25譲受(三岐キハ2)
キハ2406は1958(S33)11.17譲受(三岐キハ1)
小型車両なので閑散時以外は2連で運用されたように写真等から推測される
機械式気動車なので2連組成時は運転士が各車に乗って協調運転を行った
■三岐キハ5は別府鉄道に譲渡されて1984年の廃線まで活躍していた
発車時に窓が振動する小型気動車独特の音(全線往復録音)→
店主noteにリンク
別府鉄道キハ2
 ↑津軽キハ2404~06の同形車 別府鉄道キハ2
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キハ24形(021~024) 自社発注車
■戦後の超主力車キハ24020代登場
全く新規の車両なのだが、仙鉄式附番によりキハ24はそのまま別形式の意味も加えて次位に02を加え、キハ2402+車番が付くようになった。
■キハ24021・24022※赤字が車号
1962(S37)01に新潟鐵工所で製造した20m級の大型車体で、国鉄の北海道仕様のキハ22形の二重窓より上下寸法が大きい一段上昇窓、便所無。屋根上の通風器は押し込み形ではなくガーランド形、機関は縦型機関のDMH17C、180PS
国鉄のキハ20系は1957(S32)以降、増備を重ねていたので、津軽鉄道はある意味、寒冷地向けの装備の参考やや諸機器の性能が安定した良いとこ取りで就役した。
1,2は新製時に冬期運行排雪用に圧縮空気動作で150mm上下するスノープラウが装備された→その後の状況は不明
■キハ24023:1966(S41)24021、2に続く単純な増備 ※詳細な相違点については不知です
■キハ24024:1967(S42) 同上
以上の4両が津軽鉄道で貨客の牽引車としても大活躍した
■廃車
老朽化に伴いワンマン化は見送られ、末期はラッシュ時の車掌乗務運用が基本となった
キハ24021,24024:1997(H9)02.20廃車
※データイムはJR東日本譲受のキハ22027~9のワンマン仕様車が活躍
津軽鉄道キハ24023
 ↑キハ24023
津軽鉄道キハ24020代
↑五農高前を発車
津軽鉄道キハ24020代
五農高前から去る
津軽鉄道キハ24024
↑場所探しで試写 
キハ24024
津軽鉄道キハ24020代車内
↑立ち客多数の車内だが昼間だからか圧倒的に女性が乗車
津軽鉄道キハ24020代
 ↑毘沙門の森から飛び出る??
↓シャッタースピードが遅くてブレている
津軽鉄道キハ24024
 ↑キハ24024
 キハ24形(025~026) 旧国鉄キハ11形
津軽鉄道キハ240225+26
■キハ2425、2406
大型気動車の不足感は非常に強く、DD35形の客車牽引では燃料費がかかりすぎ、かといって大型気動車を新製出来る資力も無いので、国鉄で廃車になったキハ11形2両を1975(S50)に導入した
国鉄千葉気動車区在籍だったキハ11形31,32[※1956(S31)08東急車輌製]を新潟鐵工所で窓サッシのアルミ化、便所撤去、寒冷地仕様改造、機器整備などを施して入線した
台車は揺れの悪評高いDT19のままである
通常は25,26でペアの運転だが、両運転台構造なので検査などの時は1両でキハ24021~,PCとの併結運転も行った。
■廃車
JR東日本から購入したキハ220227~293両が稼働したため、2両とも1990(H02)01.30廃車
DD35形
津軽鉄道DD35形
 ↑DD351は検査のためかダルマの状態だった(1974)
新潟鉄工製の凸型機でDD351は足回りは2軸ロッド式ボギー構造としてDMH17BX(縦型機関)180psの出力を160PSに落として慎重を期して1960(S32)12.05運転を開始した※1962(S37)12.10に180PSにアップした
続くDD352はシリンダ直径を拡大して機関名称を新潟L6FH14ASとした220PS機関とし、1959(S34)12.06から稼働した
DD352については2015(S62)11に機関を6L13ASに交換、230PSにアップした
DD351は不調が多いようで、平成末から2025年現在は稼働の確認が出来ない
経年車なので部品をDD352に差し出している状況になっているのか
 ↓DD352
津軽鉄道DD352
 (オマケ) 五能線最後の客車列車
深浦駅で上下始発客車列車が夜間滞泊して夜明けを迎える
↑深浦駅05:56発弘前行きDE10123+オハフ61516(録音車両)
正面の機関車は東能代行 DE101126牽引の編成。
オハユニ61 106or107?(wikiオハユニ61の項)※が組み込まれている
上下列車ともホームからはみ出す五能線イチの最長編成
参考文献:朝日新聞社 世界の鉄道'68 津軽鉄道 
鉄道図書刊行会 鉄道ピクトリアル 私鉄車両巡り 第1輯 「津軽鉄道」 金沢二郎様,同477号 東北のローカル私鉄 「津軽鉄道」 鈴木洋様、同636号東北地方のローカル私鉄 思い出の表情、同862号「仙鉄式付番」の研究 澤内一晃様、同号「現存 東北ローカル私鉄の気動車 服部朗宏様、同号「津軽鉄道」岸由一郎様、ネコパブリッシングNo31.所沢車両工場ものがたり 西尾恵介様を参考にさせていただきました。御礼申し上げます
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