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津軽鉄道撮影
1974年(S48)~折々撮影記 (その3)
2025.10.09 UP Ver1.01 |
自社発注車キハ24021~24は21・22が1988年には製造後26年が経過し、更新修繕はほぼ行われておらず、予算面からもエンジンや大規模な車両更新、新たなワンマン化の費用対効果が見込めず、JRから中古車を導入することにした。
※国鉄・JRとも検査や補修は地方私鉄に比べてレベチな部分があるから??
ナントお輿入れしたのは、製造年がほぼ同じのキハ22形で1989(H01).12にJR東日本からキハ22形3両を譲受して新形式キハ22形とし、車両番号は従来車の続番として7~9とした
3両とも富士重工業宇都宮製作所製、最終所属はJR東日本 弘前運輸区
入線に当たってJR関係の保安機器、便洗関係機器の撤去を行っている
1992(H4)新潟鉄工(出張)ワンマン化工事を行った ※線路が新潟鉄工に回送出来ない状況になっていたのか?このくらいは出張工事?
キハ22027:1967(S42)竣工←国鉄キハ22156
キハ22028:1967(S42)竣工←国鉄キハ22169
キハ22029:1968(S43)竣工←国鉄キハ22228
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以下キハ22,24は特記無き限り1991(H3)02撮影 |
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↑キハ22028
ワンマン化工事前。渡り板に車号「8」が表記されている
前面に地元振興?観光客対策?で愛称板が取り付けられた |
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↑キハ22029 |
なにやら車体にボディーペインティングされている。店主的には勘弁100%
HMは富士山かと思ったら岩木山のデザイン・・・。地元では津軽富士だから |
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↑キハ22027 撮影2018(H30)
キハ24021~024の代替車として頑張ってくれたが、津軽形も揃って2010(H22)
までに全3両廃車。放置もこうなると解体費用が無いんでは?と疑りたくなる |
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↑キハ22028 撮影2018(H30)嘉瀬
蚊取り香取慎吾と当時の地元(嘉瀬)小学生が1997(H9)
派手にペイントした車両で、この塗装は初代?のもの。
この状態で廃車になったのは3年後の2000(H12)!
悠長な時間が流れる地方だ~ |
キハ24021~024の終焉 |
その後、列車無線取付や前面左右の通風口が塞がれた
ヘッドライト上部を囲む棒状のものは何じゃろう
トンネルも無いのに氷柱切りでも無かろうに?? |
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↑キハ24021
列車無線も撤去され、既に休車状態
1997(H09)02.20 廃車 |
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↑キハ24022
2000(H12)03.31廃車 ※キハ24023も同日廃車
↓キハ24024 1997(H09)02.20 廃車 |
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津軽21形 |
■乗客減少と輸送改善(冷暖房含む)で国、地方自治体からの補助金を導入して軽快気動車タイプの「津軽21形」2両が1996(H08).11に新潟鐵工所で製作された
キハ**で始まるの形式名称が消滅した |
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↑↓津軽21形
1996(H8)に101,102が、2002(H14)に103~105が就役している
車両番号をリセットして21-101から105までになっている
2025.10現在101,102はもうすぐ車令30年を迎える
代替の気動車はどうなるのか?新製かJR東のキハ110系とか?? |
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↑車両情報は溢れて居そうなんで省略します |
客 車
オハ31形 |
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↑オハ31形(01~03)3両+ナハフ1200形1201
以下客車写真は特記無き場合は1984(S49).08撮影 |
1960(S35)10.04国鉄から譲受
オハ311:1960(S35).11.13使用開始←オハ3126汽車東京支店1927(S2)製
オハ312:1960(S35).11.13使用開始←オハ3151汽車東京支店1927(S2)製
オハ313:1960(S35).11.18使用開始←オハ3175日車東京支店1927(S2)製
入線当初、ダブルルーフ屋根の側にガーランドベンチレーターが付いていたが、北国で寒いのか屋根布張り替えの際に全車撤去された
1983(S58)11.21全車廃車 |
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↑オハ31形1号
リベットの数などが参考になれば(苦笑)
外板の台枠接続部が腐食しまくっている |
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↑オハ31形2号 |
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↑オハ31形3号 |
現有ストーブ客車 |
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↑↓車体更新前のオハフ331+オハフ463+DD352 2000(H12)撮影
DD352の小さな煙突にもご注目! |
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↑↓降雪直前の風景を走る「のどかな列車」 |
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↑ホームに据え付け中の屋根他整備後のオハフ331,オハフ462
お屋根のカバーを鋼材で細かく止める我が国初の工法?
ナハフの客窓上部のウインドシルが欠損し始めており気になるところ |
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↑オハフ331 基本:個人ストーブ券購入客向 |
2018.08現在
ストーブ列車の観光用にオハフ331、オハフ462が整備されて稼働していた
屋根は多数の押さえ材で鋼材?が巻かれ旧型客車とは言えないような保守ぶり
室内灯はオハフ31が直管蛍光灯(DC?)、オハ462がサークライン(DC?)、オハ462には小さなテーブルが各BOXに設置されている
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↓オハ462 基本:団体客向 |
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↑オハ46 3 撮影2018(H30)
オハ31形の後釜で入線したモノの更新対象から外れ廃車に
(有料)のストーブ列車の車両組成が2両までとされ、1両余剰で荒廃中
その後に車体更新されたのか店主、情報不足(調べる気合い無し)で$(_ _)$ |
ナハフ1200形 |
初代西武鉄道の村山線、川越線電化開業に際してモハ550形として1927(S2)1月、翌1928年11月に2両製造された合計12両と1928(S3)10月に550形の制御車としてクハ600形600~607の8両が新造され、合計20両の世帯になった
津軽鉄道入りしたのはクハ600形のうち
■クハ1155→ナハフ1202
■クハ1157→ナハフ1201
■クハ1158→ナハフ1203
譲渡は廃車と同日の1965(S40).07付である
客車化改造は所沢工場で施工され
運転台及び関連機器撤去、床下の電装機器撤去、床を切欠、ステップ取付、バス用の暖房ヒーター取付等を行った
台車はKS30Lがそのまま引き継がれた |
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西武で車体の外板更新されてリベットが無くなった
リベットのある長野電鉄のモハ600形の保存車体はこちら |
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↑現役時代のナハフ1201 |
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↑晩年のナハフ1202 1991(H3)02撮影 |
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↑現役時代のナハフ1203 |
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↑ナハフ1200形1201 撮影2018(H30) |
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↑KS30L台車 |
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↑ナハフ1200形1202 撮影2018(H30)
カワゾーページはこちら |
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↑キ100 101
1968(S43)国鉄よりキ100形120号を購入した |
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↑タム500 501 |
五能線貨物輸送廃止で五所川原機関区へ国鉄線からタンク車で軽油の搬入が不可能になるため、1984(H59)11.01に国鉄籍の日本石油輸送の私有貨車を購入した
購入理由は当初、五所川原機関区の貯油所までの道路が無かったため、タンクローリーが入れず、どこぞ?の石油販売からタンクローリーで津軽飯詰まで輸送、このタム501に積み替えて五所川原機関区へ運ぶ。というとんでもない事情があった
その後、機関区への道路を取り付けてこの輸送は廃止になったが現存している |
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↑ワム5
気動車に連結されて線内貨物に使用されていた木造貨車 |
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参考文献:朝日新聞社 世界の鉄道'68 津軽鉄道
鉄道図書刊行会 鉄道ピクトリアル 私鉄車両巡り 第1輯 「津軽鉄道」 金沢二郎様,同477号 東北のローカル私鉄 「津軽鉄道」 鈴木洋様、同862号「仙鉄式付番」の研究
澤内一晃様、同号「現存 東北ローカル私鉄の気動車 服部朗宏様、同号「津軽鉄道」岸由一郎様、ネコパブリッシングNo31.所沢車両工場ものがたり
西尾恵介様を参考にさせていただきました。御礼申し上げます |
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