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旧型吊掛車(モハ7530、モハ12510、モハ14750、モハ14710、クハ120、クハ160)
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モハ7530形、モハ7540形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑モハ7532号 富山電気鉄道モハ200形212号としてS16日車製16m車。写真が歪んでいるのではなく、国鉄半流に遅れまい? と前面が若干傾斜したスタイル?※雨樋の上下取り付け位置と写真判定による。 反対側は貫通路付片隅運転台構造。地鉄はクハの貫通路の向きが富山方を向いている。 先輩※の500形は18m級車体だったが、出力不足に悩まされたため、2m短い16m級車体で製造された。 写真のモハ212号は2次車に当たり、モハ211,212,221の3両が増備されたが、211、212は12m級のモハ100形(→クハ120形)の電装品流用、 221は違う電動機、歯車装置を使用したため番号が220代となっている。 500形がS11新造、211〜12,221がS16新造で写真の解説として500形を先輩とした。 写真後ろは7540形7542号。旧モハ500形502号 S11日車製18m(全長18440mm)車。※4を忌み嫌っていたが42を許容するとは・・・。 500形の主電動機は旧モハ100形の流用で出力が56KW/750V×4のため18m車として出力が不足し、503号は75KW/750Vの主電動機に交換して10040形10043号になった。 このため、改番後の低出力の4桁番号の電動車は通常はMc-Tc組成とならず、単行以外Mc-Mcで運転されたようだ。 |
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モハ10040形 |
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↑元は上記にある富山電気鉄道モハ503のみ昭和14年にモーターを75KW×4に交換し、S24.12.30付モハ10043に改番された1形式1両。 その後、岩峅寺(いわくらじ)側は貫通路を設置してクハと車掌や乗客が行き来できる様にした。非貫通側の尾灯は1灯。台車がTR25とは珍しい。S56.10.26廃車 |
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クハ120形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑125 S6に 日車で12m級車体の電動車モハ100形として富山鉄道に納められたが、電装解除等の幾多の変化後、32.7.31届けで車体を17m級に延長し全長を17810mmにした。 S38.5.9届けで富山方に貫通路設置。S40.9.9届、121〜123、125幌設置。同年9.22届、126、127幌設置。車体延長時と推測するが、窓をアルミサッシ化した。 S56.10.26.クハ125廃車届、S55.02.28クハ213廃車届 |
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↑ 稲荷町で折返待。↑↓ジャンパ受の関係で左側の尾灯位置が右と大きく違う | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑再訪時は塗装も変わり、「留置車S54.9.12」と看板掲出。 日付入は後年重要な参考になります。S55.7.18廃車届 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モハ12510形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑家並みということで・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑塗装変更前上滝線で活躍中のモハ12512 黒部鉄道が昭和12年に2両製造したデ51、52号。昭和24.12.30に51→12511、52→12512に改番された。 昭和18年1月1日に富山地方鉄道に吸収され、同年11月に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧したので、同年10月6日に昇圧改造を受けている。 川重製だがモハ12512は片隅運転台側にタブレット防護保護柵が付いていた。2両とも非貫通側(原形)の尾灯は1灯。 客出入り口は開業時の低床ホームに合わせステップ付だったが、車内ステップ撤去後も車体のステップ跡はそのまま残された。 ステップの残り幅は切り取り残りがある12512の方が若干幅が大きい。リベットの様子からステップの構造骨が頑丈であったのか?特殊で取れなかったのか?面倒だった? |
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↑「留置車S54.9.12」と掲示されて留置中 ↓反対側 廃車は12511がS55.02.28、12512がS55.07.18 ドアの配置がユニークである。前後とも片隅運転台の残りのスペースを車掌が扱う片隅荷物つ置き場として、出し入れしやすい様、800mm幅のドアを設けた。 敢えてモハニという番号にしなかったのは部屋分けしないこの程度じゃ「ニ」にもならない? |
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↑岩峅寺側の前面はクハと組むため貫通路が設置された。貫通側の尾灯とジャンパ受栓の位置が他の引継吊掛車と共通である | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑塗装変更後の姿 。タブレット保護柵が残存している。S55.7.18廃車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モハ14750形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑立山線千垣〜有峰口間の常願寺川を渡河する、千垣大鉄橋 観光名所で列車が徐行する鉄橋が多い昨今、ここは河川を直角渡りの法則で、 前後に急カーブがあるため、低速で直線橋梁を渡る。 |
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↑↓富山側と立山側の前面。立山側はクハと組成するため貫通式となっている。 後年、14753以外非貫通型に再改造 |
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↑14752号。岩峅寺近辺まで降りてきて撮影。風が強く、 貧弱な防寒着では寒くて記憶がほとんど飛んでいる。 |
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↑片側が非貫通の車両とは、地方私鉄模型にぴったりの題材。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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↑ モハ14751富山駅方が非貫通、クハを増結する寺田方は貫通路がある。 電纜をつないだ状態。訪問時既にHSCブレーキに改造されていた。 |
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↑台車は昭和44年11月(S45.2.10届)にD16釣合梁式から吊掛式新形式NP4に交換された。 高速走行の新性能車の増結メインの運用になってきたため、釣合梁独特の揺れを無くすため、新台車として走行レベルのアップを目指したようである。 Tcはクハ160形2両がHSCブレーキに揃えられていた。 なお、鉄ピク642号P31にモハ14760形と併結運転の写真が掲載されており、その文中でモハ10020とモハ14760は併結不可の一文がある。(14750形Wikiにも) 写真を掲載した解説文なので、後日訂正が別の号で掲載されたかも知れない・・・。14760と10020とは本当に併結運転が不可だったのだろうか? 14755のパンタグラフは下部が板枠式簡易PS13っぽいパンタである。 |
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↑↓14752号 客ドア中桟付きアルミサッシ窓、頑丈そうに取りつけられたスノープラウ付きです。 他社の車両を導入するまで統合以前から富山地方鉄道の車両は日本車輌製が多く、14760形に至るまで自社の新車は 日車製でその縁は深い。 本車も 日車製の車体長17830mm(全長:連結器含)ロングシート車として日車で製造された(昭和23年11.17届) 当初は割当製造でモハを多数製造出来ず、モハ1501-クハ1051、1502-1051だった。 昭和24年の一斉改番でモハ14751-クハ161、14752-162とされた。昭和26年にクハを電装してクハ161→14753、クハ162→14755(4は欠番)となった。 その後、制御装置関係の更新、ブレーキのHSC化(S37.8.17届)を行って新性能車の増結車として活躍した。 14751、14755は平成3.5.22廃車、14752、14753は平成7.10.10廃車 ↓14752 タブレット保護桟受付 画像のきめ細かさで白黒も掲載と云うことで(苦笑) |
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↑↓17455の両側 客ドア中桟無し、乗務員ドア中桟有。地鉄の乗務員ドアは横引戸なのでこのような |
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クハ160形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑クハ162 Oh!ワンダフル!! 両車の客ドアに中桟が入り客窓と美しい統一美を放っている!! クハは乗務員室窓も統一位置に中桟が〜ぁ! 射水線用クハ1301として相棒のモハ1201とともに15830mm(全長)、D18台車でS23.11.17竣工届で登場した。 S24.12.30の大改番でモハ1201→デハ12053、クハ1301→クハ151(初代)に変更 ※デハの名称は射水線(600V)で使用。射水線の低床化で本線に移籍、 さて、後の牽引車となる14750形は当初、モハ1501-クハ1051、1502-1051で就役、 昭和24年の一斉改番でモハ14751-クハ161、14752-162となった これが初代クハ161、162であった。昭和26.10届でこの2両が電装されてモハ14753、14755となった。 デハ12053はS26.10届の電装解除で空いた2両のクハ161、162の番号をモハから振り直した。モハ12503はクハ161(2代目)に、相棒のクハ151はクハ162(2代目)となった。 S31年(S33.212届)14750形の制御装置等の変更により本車もマスコンを同様物に交換、その後も歩調を合わせてS37電鉄富山方の運転台撤去、貫通化、S38.HSC化を行った。 このためモハ14750形としか組成できない貴重な制御車として活躍した。※乗務員扉は埋められなかった。S55.8.6に2両廃車形式消滅。 ひょっとすると新性能車グループとも制御車として連結できたのかなぁ〜。 |
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↑富山地鉄は吊掛車のブレーキを車種限定ではあるが、当時の花形新性能車発電ブレーキ付HSC-D装備の14720〜14770グループに対応したHSCブレーキに改造。 カルダン車との併結運転を行っていた。写真はオールcMc×3連の超強力な列車だ。 |
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モハ14710形・クハ10形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑千垣橋梁を行く。雪の中大変な思いをして、 何でこんな撮影場所をチョイスしたのか、 未だ不明。上の橋から撮影すれば良かったのに。 |
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↑名鉄が富山進出を狙って、気前よく2ケタの3800系14両を富山地鉄に 「貸出」してその後、正式に地鉄車両になった。クハ13 |
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↑押し上げる安全性を担保にしたのか、富山側にモハが付く。 全編成がこの向きかは |
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↑ 簡易的に見えるスノープラウを付けている。夏は下記のように取り外しているが、取付金具が見える。客ドアが前後で違う。 ↓後年訪れた時はプレスドアになっていた。 この塗装故、ブルートレインとあだ名され、ややマイナーな立山線で主に使用されていた。後ろの14711運転室後位窓にタブレット保護桟入。 晩年のシールドビーム2灯化や非貫通化、雷鳥色に塗り替えられた姿を撮影してないのは、本来なら悔やまなくてはいけないのだろうが、まぁ、あの格好・・・。 その時期に訪富してないためオモチャ的な増灯前照灯や前面非貫通化、雷鳥色化の写真はありません。 |
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↑貫通路窓がHゴム化されている。この形式は細部が全部違うのではないかという感じがする。 ←全車見てないので推測・・・。 |
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↑立山駅 ↓宇奈月駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
↑富山地方鉄道にも傘下にと触手を伸ばしていた名鉄。 「アルペン特急立山」このほか「宇奈月」もあった。 |
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