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↑走行中の電車 ↓別の写真を拡大すると、大部、移動しています。 |
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あわら湯のまち駅(芦原駅)から進行中↑水居方向 |
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↑国鉄三国線は金津と三国間を途中芦原のみ停車であった。
不要不急として全線をS19.10.11に休止してから,三国~三国港を京福に貸与し、
戦後、S21.8.15に金津~芦原間を再開したが、住民の国鉄運行に対する期待は強く、
京福三国港迄の乗り入れも一時期行った。国鉄再建でS47.3.1この区間は廃止された |
【あわら湯のまち】
↓芦原駅はS47.3.1「芦原湯町」→H15.08.10「あわら湯のまち」駅に改称された |
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↑線路またぎは立派な階段の跨線橋。
コストや列車速度、頻度を考えずに何でも立体交差のアンポンタン政策は基本、続いている。
しかし、高齢化歩行弱者が増加する地方で、駅改良等でも構内踏切が存続している例もある。
ホーム同士は構内通路↓「ジャンジャン」って音聞きたかった ↓お屋根の柱はフル(古)レール組み立て |
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平日朝7:40分台に当駅から福井行きの列車が仕立てられる。
新駅が増えた中、福井口から回送でぶっ飛ばしてきて?折り返す
三国港駅からは同様の理由で神社、水居、番田、中角、通過の表向き「普通」列車、実は快速が1本設定されている |
ここから【福井駅→あわら湯のまち駅 方向】のページ組となります $(_ _)$ |
【 福井駅 】 |
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↑えちぜん鉄道福井駅 高架脇に京福バスチケットセンター |
↑改札口エントランス |
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↑ホームへの階段 両側は木材作り。利用者品行方正? エスカレーター有 |
↑エレベーター・トイレ・待合室廊下 |
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↑福井鉄道を一体で紹介 ↓JR連絡通路に沢山貼ってあったポスター↑ ↓↓ |
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↑くさび形に狭くなっている。↓福井口まで単線になって途中、新福井が交換駅に。 |
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↑↓留置線 両側に2連1本づつ留置出来る。福井鉄道も同じ終端駅構造 |
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↑↓豪華木造壁・・不燃材だろうけど・・最近、木材の仕様が流行っているなぁ~↓発車サイン |
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↑ホームの幅は狭い ↓満線状況のホーム |
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↑下校ラッシュ時の車両編成入替に福井口の車庫へ回送が組まれる |
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↑福井口の分岐 ↓三国線から分岐して車庫線へ下る |
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↑地上部分の一部。建て屋等の写真が怠慢こいて撮れなかった。 |
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【 田 原 町 】→福井鉄道の田原町にやや詳しく掲載しています |
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↑ 西別院から到着した6109号
↓福大前西福井から到着した7003F 2連。 2連は大きく前面左側に「2両」と掲出。左の分岐はLRT乗入用の2番線 |
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【福大前西福井】 |
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↑上部にビルがあるが未調査。階段が閉鎖されている
↓構内 三国港方にLRTホームがある |
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【住宅地 新開業の停留所】 |
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↑日華化学方より新田塚遠望 2駅見通せる
住宅地駅として利便向上、増収を図るため、日華化学前、2代目八島が2007年9月1日※に開業。
両駅ともLRTホームは三国港方に設置されている
※開業日は「えちぜん鉄道三国芦原線wiki」による |
【新田塚】 |
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鉄道線車両ホームを中央に存置、両側にLRTホームを設置。
乗客はどちらのホームに行くか、乗務員は扉の開閉に神経を使いそうな駅
当駅までが福井市街の範囲で、後方は九頭竜川橋梁、川を境に域が異なる
LRTの折り返し場所にはピッタリだが、用地取得困難?将来の発展のための政治決断?か、折り返し駅は川を渡った。 |
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↑九頭竜川橋梁 |
旧橋梁を避けて新設、工事の関係で下流側に橋脚を2基建てたため、3連のトラスを折り曲げて設置、橋梁内を線路がカーブしている、珍しい「く」の字形の架橋構造を持つ。
橋梁の主材は自身の錆で鋼を護る耐候性鋼材を使用しているようで、無塗装メンテナンスフリー化しているようだ。 |
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↑旧橋梁の橋脚を避けて新設したためだろう。橋梁がくの字型
【国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所】<九頭竜川流域史 3.4.2 京福電鉄九頭竜川橋梁の架替> より転載
福井と三国・芦原を結ぶ京福電気鉄道㈱の九頭竜川橋梁は、昭和3年(1928)12月に設置された後、昭和23年(1948)には福井地震によって橋脚1基が転倒し、落橋したため桁を復旧したが、その内2連の腐食が著しくなり、昭和35年(1960)5月と10月とに桁交換を行った。しかし、第3橋脚は下流側へ約3度傾斜した状態で根固補強がなされ、速度規制を行いつつ橋梁上を運行する状況が続いた。
京福電気鉄道㈱は、昭和36年(1961)~39年にかけて10橋脚のうち6橋脚の根固補強を実施したが、昭和39年(1964)8月には福井県に対して、河床低下に伴う河川改修による対策を実施してほしいという陳情を行った。そして、昭和55年(1980)~56年には、京福電鉄㈱が2ton型根固ブロックを約1,600個(約1億円)敷設して、橋脚周辺の洗掘対策を施した。
一方、河川管理者である建設省は河川改修に伴う河道拡幅、引堤計画、そして河川管理施設等構造令に適した橋梁径間割など、九頭竜川橋梁の改築の熟度が高まってきたため、昭和55年度より京福電鉄㈱と費用負担などについて協議を始めた。
このような経過を経て、昭和57年度より架替工事に着手し、昭和63年度に完成した。
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←同ページより転載 |
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↓1948.06.28.16:13発生の福井地震1ヶ月後の空中写真 |
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【 中 角 停 留 所 】 |
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↑ 中角停留所は築堤の上に設置され、駅への昇降階段が非バリアフリーかつ乗降客が少ないため、
LRTホーム新設は見送られ、LRT列車は通過する。↑築堤上の踏切が廃止されている
新橋梁の水面上高さも嵩上げされており、画面中央の勾配標が2箇所あるあたりから土盛りされたのか?勾配が急になっている。
↓JR北陸本線との位置関係 |
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↓仁愛女子校グランド用仮ホーム |
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隣接する同校のグランドに行事の際に輸送列車が臨停するというらしい噂の駅。実際は未調査 |
【鷲塚針原駅】 |
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↑左側に迂回線路を敷設し、有道床 下路ガーター橋梁を設置していた。近々直線になりそう
LRTのえちぜん鉄道側の乗り入れ最終駅、折り返し駅として一躍、「鉄業界」に名を馳せた。
LRTホームがポツンと一線↓ このホームの主な利用者は「試乗者?」かも知れない雰囲気。 |
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↑LRTホームに到着するFUKURAMU |
【西長田 ゆりの里】※西春江ハートピア・太郎丸エンゼルランドは略
その昔は丸岡鉄道の連絡駅だったがその面影は無い。 |
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【下兵庫こうふく】 |
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↑「こうふく」の文字は2017.03.25の後付けで・・・。 |
【 大 関 】 |
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【 本 荘 】 |
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【 番 田 】 |
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===上の「あわら湯のまち」へ続きます=== |
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本稿作成にあたり、新潮社刊:日本鉄道旅行地図帳6号 北信越編、鉄道ピクトリアル私鉄車両巡り特輯Ⅲ 京福電気鉄道 藤原寛様著(鉄道図書刊行会)、同295号京福電気鉄道福井支社
藤井信夫様著、同701号京福電気鉄道福井鉄道部、岡本英志様、世界の鉄道'75(朝日新聞社)を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます。 |
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