![](4K2K-1080-TOP-1.jpg) |
京福電鉄 嵐山線・北野線(その2) |
西院付近 |
![京福嵐山線ポール時代モボ102-未更新](0717-RANZAN-107-102.jpg) |
↑西院車庫の嵐山方面の線路から亘り入庫用ポイント。
架線はポールを載せ替える方式 |
![京福嵐山線ポール時代モボ123](0717-RANZAN-109-103.jpg) |
↑後方に西院車庫の出庫ポイントが見えるが、架線は
手動でポール載せ替えのよう。Zパン化の準備工事か? |
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↑↓西院(修旅撮) |
![](0717-RANZAN-112-101.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代モボ105](0717-RANZAN-122-105.jpg) |
↑四条大宮 スピードメーター用ケーブルが台車位置の関係で長い(修旅撮) |
![](0717-RANZAN-134.jpg) |
広隆寺付近の蛇行線路と広隆寺 |
![京福嵐山線ポール時代モボ128](0717-RANZAN-173.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代モボ106](0717-RANZAN-177.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代モボ102-2連](0717-RANZAN-176.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代モボ111](0717-RANZAN-175.jpg) |
![](0717-RAN-309.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代 オート三輪](0717-RANZAN-169.jpg) |
↑オートが三輪居たので拡大 |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-172.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-170.jpg) |
↑↓まぁ気取って撮影(苦笑) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-171.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-162.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-163.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺モボ123+103-2連](0717-RANZAN-166.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-168.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-172.jpg) |
![京福嵐山線ポール時代広隆寺](0717-RANZAN-174.jpg) |
その後の撮影 |
![京福嵐山線モボ102冷改2連](0717-RAN-313.jpg) |
↑↓モボ302が2007年に廃車になって部品取り?に。
301号と101形全車が残っていた。
要員合理化か、密連の下に電連をぶら下げた。 |
![京福嵐山線モボ105冷改2連](0717-RAN-323.jpg) |
↑↓2017年現在、冷房積んで全車健在らしい。何より何より。 |
![京福嵐山線モボ102冷改104ラッピング+2連](0717-RAN-316.jpg) |
↑車体中央下部にあったジャンパ栓を撤去した? |
![京福嵐山線ポール時代モボ501](0717-RAN-325.jpg) |
↑↓モ500形 |
ポールを廃止してZパンタ化したので、車掌によるポールの紐操作が不要になり、
前面デザインが自由になった反動か3枚窓から1枚窓に変化した。
店主的には東欧的な風采が上がらない車両に感じる。
後方の104号に比べると客窓が若干大きくなった。
部品流用車としてS59.10に501(旧番114)、502(129)、S60.9に503(130)、504(128)合計4両が竣工
2017現在501,502が在籍している。 |
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![京福嵐山線ポール時代モボ502](0717-RAN-321.jpg) |
![京福嵐山線モボ613-2連](0717-RAN-320.jpg) |
↑モボ611形
500形と同じく部品流用としながらもH4.9に611~がほぼ新車で誕生した。
611~616計6両
防曇熱線が車掌側にも入っているようで、使用されれば景色が見える。 |
![京福嵐山線モボ622-2連](0717-RAN-311.jpg) |
↑621形
H2.7に621を皮切りにH8までに5両製造された。手法は611と同じ |
![京福嵐山線モト1000形1001](0717-RAN-308.jpg) |
↑モト1001
S49.2にフモ501の代替。主要機器を京都市電からの譲受品。 |
本ページ作成するに当たり鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯Ⅲ藤原寛様、
同319号藤井信夫様、553号吉岡壽一様、685号鈴木隆文様の記事、朝日新聞社世界の鉄道(路面電車)'を参照させて頂きました。 |
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