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京福電鉄 嵐山線・北野線
2024.04.10 Ver2.05 |
■S43.10.167系に乗って中学2年の京都へ修学旅行に。
団体行動からこっそり抜け出して京福の叡山・嵐山巡りを敢行。
叡山線→京阪四条駅数コマ撮影→河原町→四条大宮→嵐電へ
嵐山線の撮影コマが異様に少ない。
コマを見ると時間帯が夕方の光線に。 思い出せば時間的に宿舎に戻る時刻が迫っていた |
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叡山線で時間を大分かけて、京阪四条駅で憧れの1900系を撮影し、阪急河原町から四条大宮まで ↑写真の車両で移動。(↑↓修旅撮) |
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↑西院駅の時刻表。記入の仕方に特徴があるかな~? ■写真は修学旅行時代とそれ以降のミックス写真です。
←修旅撮 四条大宮駅
京福叡山線へ |
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北 野 線
昭和49年頃の写真です |
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↑仁和寺 (現:御室仁和寺) ↓竜安寺道 (現:竜安寺) ※記憶の撮影駅名 |
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↑↓新緑の連休に非鉄の先輩とお出かけ。んで電車は計3枚のみ撮影。
湯豆腐など喰わずに「鉄」をちゃんとやっておけばと大後悔。方向版がリニューアル |
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↑モボ301形
ポールによるおでこ破壊保護枠?が付いていた |
モボ301形は在庫の芝浦製SE-129B×2(44.8KW-出力は嵐山線全車共通)、制御器を叡山線の在庫芝浦PRC-51型を、
連結器は京都市電が連結運転をしていたものを譲受し、S46.5に301、302の2両が武庫川車両で製造された
台車はモボ101型の神鋼C形台車を交換したのと同じ日立KL15を履いている。 新造はS25年のク201形以来21年ぶり。 |
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嵐電にスライダーシューの時期は無くS50.12.15にZパンタ化された。
Zパンタ化で正面中央の窓が開かなければならない理由が消滅し、自由なデザインが可能となった。
※昭和の初期まで3枚窓の前面が多いのはこの流れ。国鉄モハ80系2枚窓デザインが呪縛を解放した。
※小型ガラスの製造しか出来なかったとか、戦争資材難もあったが、人間の心理はそう変わらない。
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嵐 山 線
昭和50年代初の頃の写真です |
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↑↓西大路三条~山ノ内 ↑ポールの右に超有名な京都の精密機器メーカの社紋がある。 |
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ク201形 |
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↑三条口(大宮方)でどっと下車する。車掌2人体制 ※現:西大路三条 |
↓電停端の簡易囲いと椅子は臨時集札職員用?用途が?? |
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↑モボ121形124とク201形202 ポールは嵐山方のみに付いている。 |
ク202で集電中。母線(ブス)と回路のジャンパ類は前面下の2箇所のジャンパ栓で結ぶ。
ク201形と連結する電動車は主電動機を倍積みの4個にしたモ121~124の4両。
ク201形は3両所帯なので、モとクは検査や事故があると厳しい運用となる。※見た限り運用は2編成出庫のよう。 |
↓ク201形はモボと違い、連結面側の客窓と扉配置が違う。片運転台のため嵐山方に限定して連結される。 |
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ク201~203はS25汽車会社で製造。
車体長:13810mm、自重:18.5t、台車:汽車LW-10、定員は嵐山線最大の110人。モボは全車100人(撮影当時) |
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↑124+202 |
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↑↓121+203 |
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↑朝方は嵐山方向が逆光になる場所だったので、ク201形の満足な写真は無い←それ以上に下手くそですが |
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↑四条大宮に向かって運行する場合ク201形のポールを使用する。 |
ホイールは点接触に近い。この集電方法で4個モーター(121~124)を回す。
※他の2連(2個×2両)も同様 |
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↑↓モボ101形 |
旧モボ101形はS4に藤永田造船所(S8車輌製造部門廃止、現三井造船)で101~106の6両が製造された。
モボはモーター車の「モ」、ボギー車の「ボ」の組み合わせ。しかし制御車は「クボ」では無く「ク」
多分、単車の「ク」の構想無かったのではと想像。
制御装置はGE製、主電動機はSE129B-44.8kwを2個装荷(撮影時現在)※嵐山線全電動車同出力-121~124除く)
台車は神鋼C形。ところが乗り心地が悪いとS43.4~S45.2に日立KL-15に交換した。
S50.1~5.にかけて武庫川車両で機器を再用して車体を更新した。
車体長は未更新時代の14090mmから更新後14800mmと710mm伸びた。※モボ301形竣工はS46.5
<武庫川車両>
はモボ301形から新製車体のお付き合い。
垢抜けしない鈍重なスタイルで同じコピー品を京福京都支社に納めていた。
Zパンタ化後のモボ501形は・・・で、次はモボ611形となり製造を細々続けていたが、H14.9会社解散となった
嵐山、叡山の車両は当時デザイン等の提携していた近車が引き継ぐのか?? |
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↑↓窓を開けた際の開口部面積は下部を手等を出せないよう狭くしたが、上部もそんなに開かない。
未更新車は上部が開かないが下部が大きく開いて見た目、涼しそう。立客の軍配はどちらに?? |
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↑↓きれいに揃って窓が開いているので乗務員さんが事前に好みで開けたのか。↑は市松模様っぽい開け方と全閉。 |
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↓開ける段数の違い。の車掌と運転士の感覚の違いか |
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↑↓ モボ111形 |
S7.田中車両(現:近畿車輛)で110~117の7両が製造された。制御装置は芝浦、主電動機はモボ101と同様。
台車は住友KS-46L、モボ101(未更新車)比、全長は同じ14,090mm、全高が76mm高い3,816mm、全幅は2,574mmと16mm狭い |
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↑ モボ121形 121+203 |
モボ121形はS11に川車で121~130の10両が製造された。制御装置は芝浦、主電動機は下記のイロイロがあって・・・。
モボ101(未更新車)比、全長が3,780mmで40mm長く、全高は40mm高い3,780mm、全幅は2,573mmと17mm狭い。台車は川崎BWE-12。
121~124号はS25.1.ク201形を増備するため、同時期に4個モーター化された。
※鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯Ⅲ藤原寛様記事では
S25.1叡山線デナ121形125~6の60HP(44.8kw)モーター4個/両と モボ121~124搭載の東洋80HP(60kw)×2/両と交換したとある。
デナの方は交換数8個で数が合うが、モ121~124は4個/両を搭載するので16個必要。8個2両分が不足する。
S25.1に当時、同型主電動機を8個新製して不足の2両に搭載したのか?後日、デナ125~6から8個戻ったか、追加新製?
さらにモボ121形は当初、全車60kw×2個を積んでいたとも思われる記載がある。
モボ125~130の6両×2=12個の80HP(60kw)は何時44.8kwに換装されたのか。
鞍馬線のデナ121~4はGE・東芝110kw×2をS26.4東洋80HP×4/両に交換したと記載あり。
推察すると4個×4両=16個のうち、モボ125~130の6×2=12個の80HPを当てたのか?
不足12個の44.8kwのモーターを新調すれば、その後の嵐山線の旅客車主電動機の全てが44.8kwになるが、
44.8kwモーターをS25.1.に8個、S26.4.に12個計20個の不足分モーターを新調出来るような状況だったのか ?
記事の一覧表では全車44.8kw×4となっており、そうすると作表時に上記の状況になっていたのか??経過等が不明です。 |
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↑↓最大の集電編成 123+103ポール1本でモーター6個分の集電?推測だが、
123号のモーター4個中2個か101形の2個全部をカットアウト? |
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↑架線の振れ止めの芸が細かい |
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↑電柱が鉄管製なのか銀色に光り輝いている。 |
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↑↓山ノ内電停 |
現在も山ノ内電停と三条口(四条大宮方のみ)(現:西大路三条)電停は路上であるが、
これ以上高くすれば、踏み外したとき道路に「落ちる」高さになりそう。
ノンステップの車両高さとの差も大きい。会社も悩んでいそうだが、
2017現在の路面電車の中では車両と最大の乗降差のある電停かもしれない。 |
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↑↓山之内電停遠望。 |
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西院車庫の車庫の写真は昭和43年 |
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↑↓修旅時に嵐電を6×6撮影したのはこの2コマ。釣合梁の川車BWE-12台車。
車庫には後方↓の車号不明車しか居なかったがフィルム切れ。 |
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↑分岐用ガイド架線工事中。(修旅撮) |
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↑ ポールの分岐器フロッグの図面
図面出典:福島交通 工事方法変更より
※メーカーにより差異はあるが大体同じ |
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↑102号 |
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↑↓105号 連写 周囲の自動車等を・・・。 |
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こんな写真ばかりで・・・ |
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↑川車BWE-12台車 モボ121形 121~130 |
路面軌道用台車として珍しいイコライザー台車を履く |
↓日立KL-15台車 モボ101形 101~106 |
当初履いていた神鋼C形台車は、軸バネが無い台車でこりゃ乗り心地悪いわ。
S43~45にかけて日立KL-15台車に交換された |
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↑住友KS46L台車 モボ111形 111~117が履く |
本ページ作成するに当たり鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯Ⅲ藤原寛様、
同319号藤井信夫様、553号吉岡壽一様、685号鈴木隆文様の記事、
朝日新聞社世界の鉄道(路面電車)'を参照させて頂きました。 |
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