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南海電鉄 1984年頃を中心に |
※南海の車両は(も)全く理解していません。写真をお楽しみください $(_ _)$ |
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↑ 「清浄な大気のこの聖地で余生を・・・」と高野町役場の看板。
余生かぁ~。余生だから移住して何年頑張れる?? |
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↑よじ登ってくる「こうや号」、左側の元貨物側線と本線の高低差、脱線ポイントがポイント? |
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↑パノラミックなこうや号の運転室
↓椅子を転換中の「こうや号アテンダント」(名称未調査) |
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↑↓22000形 |
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↑↓21000形 |
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↑↓紀見峠の線路付替時に南海が社運を賭けて開発した大規模分譲住宅地の「林間田園都市」
駅名もそのまま「林間田園都市駅」で待避駅にするべく2面4線の計画で、当初、側線なしで開業した。
当時、購入移住した人の大半が30歳代とすれば2021年現在、定年を迎えて乗降数や街はどうなっているか? |
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↑↓閑散とした林間田園都市駅前 |
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↑エスカレーターの設置準備はあった |
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↑撮影時点では2面2線で下り線難波方に渡り線を設け、折り返し出発を可能にしていた |
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↑↓光明寺 |
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↑↓泉北高速鉄道 光明寺駅まで開業 |
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↑泉北高速会社所有100形 |
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↑両扉版6100形6129
↓ 台車はPⅢ時代↑の拡大 |
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↑ 鋳造の車両銘板 |
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↑丸と角の併結 |
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↑6連は21000(21012)+22000 |
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↑片開きの6000系 非冷房 |
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↑両開き6100系 |
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↑↓片開き7000系 |
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↑↑兄貴分は冷房非搭載で廃車方向
↓両開扉の後輩は冷房搭載 |
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↑本線用1000形元11001形 |
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↑↓キハ5551形 乗務員手摺りから判定。1985年に廃止 |
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↑難波駅にて |
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↑↓この時代はPⅢ台車のブレーキシューがクルクル |
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↑ガッツリとスピードがノッテ分岐突入しています
↓普通はこの程度でしょう・・・。 |
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↑非冷房600V仕様の11001を1500V、冷房化して機器を更新して延命した1000形1001号↓1002号 |
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↑本線元11001形先頭車の車体長20.5m
標準の中間車車体長は本線20.0m高野線17.0m
↓高野線山岳用21001形先頭車車体長17.5m |
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↑車掌車が集められていた。1段リンクで国鉄なら最高65km/h制限車。稼働するのか手歯止めは掛けられていない。 |
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↑両運1521形1526 |
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↑水軒行きは一日上下各2本のみ。水軒で撮影したコマが見つからない(泣き) |
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↑日中は2編成の運用 |
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↑駅舎。窓の木格子が厳重。出札口は手が入るところ以外は格子という厳重さだった。
左側の警察の立て看板の文言が・・・カメラを鞄に入れて、電車が来たら素早く取り出して、
撮影して直ぐ鞄へ。という、チキン中のチキンであった。 |
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↑ガタンガタンと、のどかに渡る。 |
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↑↓キター ↑↓右1525 |
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↑1525+3904 |
2021.05以降の怒濤のアップ+増補のページ(苦笑)
撮影年代は「頃」ですが、未検証なので、違う場合もあります $(_ _)$ |
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関西圏の写真
撮影年代は「頃」ですが、未検証なので、違う場合もあります $(_ _)$ |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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