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↑単線区間をゆく300形304
石山坂ホンセンではなく石山・坂本線・・・。紛らわしい線名です。 |
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↑260形
この形式と350形の撮影車輌を見ると貫通扉の下部にベンチレーターが設けられたようだ |
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↑終点石山寺にて |
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↑坂本~穴太間は1997年に複線化され、全線が複線となった。
単線運行に起因する事故回避に対する社上層部の安全思想が非常に強いことを物語っていた時代だと思う。 |
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↑260形の初期グループは片引戸で窓が大きく、なかなかの名デザインと思う。客窓の保護棒は1本。 |
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↑真夏の光景。開けられる窓は全て全開。
269F(270-269)、268F(267-268)は運転台上部の窓が少し開くタイプ。※
※この窓タイプは写真撮影で確認した限りの編成を記載。
方向板から石山坂本線通しのローカルと判る。
三条方面に行くには浜大津(東口)で降車し、
真後方にある京津線浜大津駅まで徒歩で乗り換えをしなければならなかった。 |
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↑三条から浜大津へ到着、スイッチバックして石山寺へ向かう283F(283-284)
写真手前からカーブしている線路は三条からの京津線で浜大津駅方向へ、交差する直線は石山坂本線。
写真右側に石山坂本線の浜大津(東口)駅があった。現在の浜大津駅の位置に近い。
1981年に京津線のカーブが反対に振られ、(新)浜大津駅に統合され、準急は全て浜大津止まりとなった。 |
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↑石山寺方面から浜大津へ入線する265F(265-266) |
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↑この区間は第二次世界大戦の終戦直前に金属供出で
滋賀里~坂本間の複線の一方のレールが供出されて単線になったので、
複線に戻すためには用地買収が基本的に不要だったが、
この輸送量で復した当時の首脳陣の安全志向はさすが。 |
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↑四宮車庫にトップナンバーいたのでペタシ。
300形の運転台窓は一回り小型化されて、下側にベンチレータらしきものが
取り付けられている。ドア脇のサボがイニシヘの香り |
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↑浜大津~坂本ローカル運用の303F |
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↑京津、石山坂本両線のパンタシューの横幅が短いのは、京津線の逢坂山トンネルがポール時代の掘削構築で、断面が逆V字型的(例え)カーブのため、パンタ化はシューがトンネル壁に接触しないようにΩ形カーブに改修する必要があった。
トンネル上部の巻き(カーブ)を変更するには新隧道掘削的な費用になるので、シューの横幅自体を縮小し、その寸法に対応するだけの路盤を掘り下げした。小型特殊な寸法になっているようだ。双方ぎりぎりの歩み寄り。 |
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↑今も昔も近江神宮~坂本間は閑散時の列車本数が、この折り返しにより半減している。 |
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↑首都圏の修学旅行生御一同が琵琶湖周遊後、宿泊ホテルに移動する際、
数クラスが一度にこの電車に乗車したそう。それはもう牛詰め
電車と言えば6~10両が日常の都会暮らし、
社名から立派な路線に見えても、こんな小さな電車2両だったとは・・・。
平成の小話。 |
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↑坂本を発車する354
周囲の樹木はどうなってしまったのか?気(木)になるところ |
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↑単線区間をゆく356。 |
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↑単線時代の坂本駅。
この駅から長い坂を歩いて比叡山鉄道坂本ケーブル駅に歩いて行く。難儀なこっちゃ。 |
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↑イコライザーの湾曲が優美に感じるM I形台車。
京阪は鉄道線を含めると驚くほどの台車形式を所有していた。 |
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関西圏の写真
撮影年代は「頃」ですが、未検証なので、違う場合もあります $(_ _)$ |
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