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福井鉄道 その1
その2は→こちら
2022.07.18 VER2.31 |
200形 |
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↑202F-1号 |
ある時代
福某:道路上を2両連結運転させてくれ~
福権力:全長は30mまで。特認はわが福●県で認めてやらない
んで、お付き合いのある「ポン車製造」に相談?で、車体全長14,750mm×2+連結面間500mm=ピタリ30m。台車は3台で連接構造にすれば行けるじゃん。と。
前面形状は湘南タイプを念押ししたのか、この形が流行ってまんねん。と売り込まれたのか。さらに車内はセミクロスシート。既に名鉄のクロスシート派閥が誕生していたのか?
さて、この2編成、福権力に<ピタリ30m以上じゃね~かと言われたのか?言う前に気づいたのか、予定の密着自連ncb-Ⅱを装着出来ず、30m以内の全長に取付収納法か不明だが、簡易な連結装置を取り付けて就役した。 第203編成は納入前に連結器の寸法365mm×2=730mmの部分を足して全長30,730mmの「特別認可」を取得、NCB-Ⅱを装備して就役した。
201、202編成も203号と同時か後かは不明だが特認を取得したので、NCB-Ⅱを装備した。
鉄道図書刊行会の「日本民営鉄道車両形式図集-上編」には201,202号として全長はアンチクライマーまでの車体2両分30,000mmで、連結器長は記入されていない。
鉄道史資料保存会発行の「日車の車両史 図面集 戦後私鉄編」は203号の図面が収録されており、連結器長が365mm、全長が30,730mmとなっている。
特認に関するこの時代の権力と対峙できる「半沢鉄樹」がいなかったのが残念・・・。
その後、2両連結の特認を「倍返しだぁ~」で(笑)
2両固定連結の特認は昭和47年の120形連結化が最初のようだが、80形同志とか他形式との連結運転の特認はどのような申請で何時取得したのか?
その辺も判るとスッキリ!スッキリ~!なのだが・・・。
全く筋違いだが頭取の「中野渡」姓は三沢、十和田方面の分布が超濃厚の記憶。
【2020.10.01追記】
モハ 200の図面を眺めていたら、運転台部分の車体幅を乗務員ドア部分から絞っていることが判明。
車体幅客室部分2,600mm→運転台前面カーブ始点位置で2,500mmと100mm絞られている。
下の写真の「屋根塗り分け付近」の光線加減で判別きると思います。
ピタリ30m以上じゃね~かと言われたのか?言う前に気づいたのか、予定の密着自連ncb-Ⅱを装着出来ず、30m以内の全長に取付収納法か不明だが、簡易な連結装置を取り付けて就役した。> |
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↑ステップ使用状況 202F-2
ご老人や幼児はさぞ乗降が怖かったものと推察される
ちなみにアンチクライマーの幅は50mm |
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↑運転台
当時は計器内包のパネルや押しスイッチ(箱のママはちいと無骨)、各ランプカバーが斬新だった。 |
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昭和35年に2編成、翌年に1編成合計3編成登場
排障器の線組デザインが編成でも違う。
↑201-2
↓201-1
上の福井駅前の202Fも違う。さて、同時期の203号は? |
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↑↓日車独特の車体裾の水切りRが付いている。
豪雨の撮影時もしっかり機器をカバーしていました。
201Fの急行板の行き先は円盤に行先を記して裏返す方式
急行文字も裏返し可能。「普通」なのか「無地」なのか店主?? |
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↑202F-2 福井方の急行板 両方向記載。
※板自体は取り替え可能なので、編成特定は出来ない。撮影時として。
屋根の右側、何故か凹っている
↓急行板「武生」表示・・・オマケ・・・。だが、
運転台通風口カバーの大きさが違うのと、屋根凹って無いので203F-2か?
とすると、福井方の排障器の線組は202Fと撮影時は同じ?
でも、下記の鉄橋の武生方の203-1号の排障器は201-2号と同じように見える |
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↑203-1(武生方)排障器 |
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↑↓役に立たない片側だけの床下機器写真 ↑先頭台車後位のハンドブレーキのチェーンがポイント(苦笑) |
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↑北府の側線で朽ち果てるのか? |
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↑撮影場所の三十八社駅 |
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↑撮り鉄ポイントに認定の三十八社駅 |
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↑三十ハ社駅のポイント
電気転轍機に掛員が何やら、駅長?が手旗を持って待機
しかし、それより何より、パンタからの母線引き込み線形状の凄さは模型以上のものがある |
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↑南越線 左:クハ110形クハ111号、右クハ51(モハ50) 粟田部側の連結面
クハ110形は名鉄モ800系の同系車。当初、貸与なのでTcクハ2315のまま活躍。
S45.6に正式譲渡クハ110形111になった。 |
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↑↓鉄ピク特輯Ⅲ現有車両要目によると昭和46.8に西武生工場でクハ化とある。
車両的にはクハなので車体横に「クハ」、形式は整備未完なのか「モハ50」の便宜書き分けなのか
撮影日はS48.06 出自は鯖浦電鉄デハ20 |
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モハ10形 鯖浦線のページで紹介 |
モハ140形-クハ140形 (初代) |
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↑モハ142号 |
↑製造年:昭和2年 福井鉄道 形式 モハ140形(初代) 元名古屋鉄道、形式:モ700形701,705号
昭和39年3月に名鉄から借用車としてモハ140形で一旦南越線に入線、数ヶ月後福武線に転籍
同年7月譲受、前後の客扉に折畳ステップ取り付け、前面に排障器取付、台車換装。
同年11月福井側の運転台切断、車体を短縮し、クハ140形と貫通固定編成化、前面窓Hゴム化。
Mc141(701)-Tc141、Mc142(705)-Tc142
全長14,461.5mm、車体長13,713.5mm、全幅2,600mm、車体幅2,438mm、客ドア914mm |
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↑クハ140形142 |
↑製造年:昭和10年 福井鉄道 形式:ク140形 元名古屋鉄道、ク2201形 2201,2202号、
瀬戸電気鉄道の急行用ガソリンカーとして稼働していた
昭和39年3月入線,7月譲受、クハ140形に。乗客用折畳ステップ、排障器等取付、台車換装
同年11月武生側の運転台切断、車体を短縮し、モハ140形と貫通固定編成化。
クハの前面は2枚の上下2段窓であったが、Hゴム支持の2枚窓化された。
全長14,020mm、車体長13,240mm、全幅2,540mm、車体幅2,500mm、客ドア1,000m
竣工図通りだとすると、モハ、クハとも連結面の台枠を四角に修正した。
昭和54年廃車 |
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↑↓モハ141+クハ141(初代)は全面広告電車で活躍 |
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デキ10形 |
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福武電鉄開業時からの電動木造有蓋貨車デワ1で生え抜き車両。
大正13年から就役している2020年現在、96歳のハイパーレジェンド。
昭和34年に単台車構造から車体延長、ボギー台車化、南越線で活躍、昭和54年12月、除雪車化されてデキ11となった |
妻(運転台)部分は鉄板化、側面は平木を横組みした見事なハイブリッド。
普通は水はけを考えて縦の木組みをするが、堂々横組みで上から重ねる鎧貼でもない雨水滞留奨励貼? |
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↑前面に分厚いアングル鋼で除雪板の取付ステーをボルト止め
乗務員室ドアの桟も相違するなど幾多の変遷を乗り越えた産業遺産級の「魔」改造車 |
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↑ 産業遺産級の「魔」改造車が外板を縦方向に張り替えて「熟魔」になっていた。前面雨樋は素人細工級の仕上げ 2020.12 |
モハ20形+クハ20形 |
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←モハ20形21→クハ20形21 |
元車は福武鉄道デハ11形(昭和5年竣工)として2両入籍、会社合併後の昭和22年モハ20形に改番、屋根にはお椀がびっちりで、
2020現在のコロナ騒ぎでは、
■通風器イッパイ付いてます
■窓もイッパイ開きます。
と、換気十分車両のアピールが可能であったと思われる
1形式2両で、2個モーターのモハだったが、検修の都合上と思われるが、昭和45年にモハ22の電動台車をモハ21に換装、同じ方法でモハ21の付随台車をクハ22に換装、連結面の運転台をW撤去して貫通化、Mc-Tcの固定編成化した。
排障器の形状が救い上げるL形になっている。昭和61年廃車 |
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モハ120形・クハ120形 |
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←モハ120形122号、→クハ120形122号 撮影S48.6 |
■モハ120形 2両 121、122
日本車輌で昭和5年に121,122の2両が福井鉄道誕生後の初の新車として製造された。
ステップ仕様で製作されたため、客ドアの下に車体裾が伸びている。
固定編成化前は主に鯖浦線で使用されていた
■クハ120形 2両(121、122)
昭和4年日車製、昭和41年9月に名鉄から車体を譲受。手持ちの台車、部品を装着して
昭和41年10月 モハ151、クハ152とし、南越線で稼働した。
■番号変遷等
三河鉄道デ300形301→名鉄モハ3001→福井モハ151→昭和47年固定編成化クハ122に改番※
302→ 同 モハ3002→ 福井モハ152 → 同 上 クハ121に改番※
※鉄ピク701号「福井鉄道」クハ120形の項にてNo461、626号の誤記記載指摘あり。
福井鉄道のHPは正当にクハ151 → クハ122となっている。
■S47.4
モハ150形2両の電装解除、片運転台化、乗務員扉新設等を施行クハ120形に改称
モハ120形2両と各々Mc-Tc編成を組み、モハ121-クハ121、モハ122-クハ122とした
■S52
モハ120の主制御器をES-517に※順次80形、140形も同一に換装
■S57.1
クハ120電装(主電動機2個/両) クハ121→モハ121-2、クハ122→モハ122-2に改番
■廃車
H4.3 モハ121-1+121-2廃車
■H8.9
ワンマン化工事
■H9.7
●モハ122-1 主電動機、駆動装置、台車等交換
モハ200形202Fから台車ND-108、制御、駆動装置を流用 75kw×4 WN駆動化
●モハ122-2電装解除
モハ122-2をクハ122に改番
※非冷房車のため冷房使用時期は特に予備的運用が多くなった。
■H18.06 形式消滅
モハ122編成廃車
★駆動装置交換の雑感
吊掛時の自重31.5t+21.5t→26.5t+24.2tに変化して50.7tを75kw×4で運転
駆動装置が吊掛より華奢に思え、200形の時代より中々のオーバーワークの気がする
S48当時は60KW×4の吊掛駆動
※モハ200形は冷房前44t(2車体)75kw×4 冷房化後48.4t(24.2t×2)96kw×4
※平成3年1月京福福井支社251形のブレーキロッド破損(1回目)があった。
冷房化と上記の因果関係も含まれていたのか?
さらにアーク発生耐火部分のアスベスト除去対策問題など
全国的にも対応出来る中古車両導入の動きが出てくる
■下記の写真は書類上変更から1ヶ月後の撮影だが、車体表記が訂正されていない |
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↑ モハ120形122-2号+122-1号 H9.8撮影 |
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↑車体表記:両車の車号拡大
この時点でモハ-モハとなっている |
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↑モハ122-1台車 (上記の写真拡大)
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モハ200形の冷房化重量増に伴う台車交換を行った際に流用交換された。
横正面からの写真は無いが台車のボルスタアンカの形状でご賢察を
↓↑この写真の正反対の側を撮影。車庫にレトラムがひょこりと |
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130形 |
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↑以下、下回りを露出過多にしています |
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↑↓西武生の自社工場で昭和37年、38年に1両づつ車体を製作した
車体長13,000mm(全長13840mm)の小型車
南越線の近代化として台枠、車体を新造し、同線由来の車両部品で組み立てたが、
(1)輸送需要が少ないから?
(2)タネ車の台車の荷重負担と車重を考慮?
してこの形態となった?
結果、線内の2連は考慮せずにタネ車などの旧式部品活用で非総括制御となった。
しか~しぃ、社内製造という車体がアヤシイ、
(1)某車両が鋼体を組み上げて秘密裏(公然かも)に輸送してきた?
(2)某車両で主要部分を製作し、輸送して工場で貼り合わせた?
(3)現地製造なら某車両社員が出張工事で製作?
木造車の車体の外板張上や乗務員室切断平妻化の実績はあるが、失礼ながらここまでのクオリティを自社で仕上げられるのか?
台枠から車体まで作るには工場の設備や検査機器が必要で、社内製造にどうも店主は首をかしげすぎてしまう。
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↑↓雨樋内包時代 |
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戸閉め表示灯が乗務員扉の真上にあるのがカワユイ。
南越線廃止後に西武生工場で出番を待っていたが、福武線で稼働するには折りたたみ式のステップ取付、2連運転のための総括制御器を2台分とかシングルブレーキ構造をどうするか等の美魔女熟女ならではの整備コストを抱えていた。
静鉄から300形がお輿入れ。名鉄からも17m級大形車も入線していることから、予備車として税金払い続ける?のは無駄?とされたのかS61年廃車解体された。 |
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↑モハ131車内 |
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↑ 130形のは反対側写真はこれしかない・・・。雨樋が新設されている
内部雨樋管が腐食してしまったのか?容易な外付けに変更。 |
160形 |
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ラストのメイン人生は鯖浦線 ↑↓本線運用復帰改造後の車両 |
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モハ60形2両を昭和43年に連接車化。前面を切り妻の凹窓にして斬新さをアピール
一段下降窓161-1、2段下枠上昇窓161-2、
■鯖浦線時代からの外観変化
・ワンマン運転適合化改造、列車無線、ATS取付
・前面テールライト角形化、通風窓廃止、ワイパーと取り付け位置の変更
・電動台車はクラスプ(両抱)ブレーキの台車に改造(昭和56)↓シングル(片)ブレーキ時代
※イコライザーの形状は同じのようだが、類似タイプに交換かもだが・・・。 |
↓鯖浦線時代の台車 |
※スポーク車輪のタイヤが摩耗したら、嵌め変えてくれる工場(業者)は存在していたのだろうか
フランジの削正を含め、プレート車輪にするしかなかったのか?撮影後どうなったのかは知らない |
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↓本線運用復帰改造後の車両 |
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↑列車無線アンテナ
台車の軸箱の左側にあって、右側軸箱右側に無いものは?珍台車やぁ~
ブレーキシューは枕バネの左右側のみのシングルブレーキ
↓電動台車とは明確にイコライザー形状が異なる
連節面の妻窓が可愛すぎる |
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↑↓広告がボッロボロ |
広告料を貰ってないのなら撤去するか、貰っていたらこの状態での掲出代金はいくらだったのだろうか?
広告主の関係者はマイカーだろうから、この状態を見ることは、ほぼ無いだろう。
契約が切れていたとしても、この看板の荒損状態はのどか過ぎる。
医院経営の某様が広告主だったら、おりにつけて観察しているから、これは許さないだろうなぁ~。ナヌ、最近、多忙過ぎるって?? |
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↑留置線脇の建物は取り壊されて新築に 2020.12 |
本稿作成にあたり、鉄道ピクトリアル私鉄車両巡り特輯Ⅲ 「福井鉄道 酒井 英夫様著」、鉄道ピクトリアルNo626 、701号「 福井鉄道 岸由一郞様著」「日本民営鉄道車両形式図集」鉄道図書刊行会、鉄道史資料保存会発行の「日車の車両史
図面集 戦前私鉄編、戦後私鉄編」、世界の鉄道'74(朝日新聞社)、を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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