↑ポイントは発条ではなく、全て手作業でダルマ返しを行う。
なお、立山砂防工事事務所によると「安全と省力化を図るため昭和55年から自動化を進め、昭和61年に全面自動化」されているらしい。
運転助手によるトングレール開通方向の確認は残っているらしい。それはその通りだと思う。
しかし、運行動画を見る限り、ポイントが切替わる様子が写っていないし、トングレールが進行反位に見えたまま、でも定位?に進行する。
その仕組みが判らない。立山砂防事務所には是非、この部分の動画をアップして貰いたいものだ。 |
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↑ちょっと寸法が足りんかった。それでも足らんやンか |
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↑グォングオン、ゴロゴロとやってくる。人車の軸バネなんて「気持ちっだけス!」。
だからすんごい振動。 下手にふわふわのバネなんか付けたら、上下左右に周期が合わず
事故の元?。スパルタンの方が線路に馴染むのではと推測。 |
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↑曲がりくねったカーブだが「軌条塗油器」などの贅沢品は無い。 |
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↑水谷隧道に進入する人車編成。 |
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↑ドラム缶・プロパンガスボンベが横積みになっている。
機械用の重油とプロパンの空荷だろうか。
まもなく来たる冬期に備えて燃料容器も下山 |
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↑落ち葉がすごい箇所用の標識 |
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↑水谷連絡所(事務所は水谷出張所)が見えてきた |
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↑ 「水谷橋」を渡ると水谷連絡所(撮影側) |
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↑水谷出張所 |
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↑車両収納小屋。雪対策の扉が付いている。 |
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↑水谷連絡所構内 |
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↑駅名標。ここが駅。バス停みたいに何にもない |
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↑昭和42年製 酒井製。排気管はココカイ!モーターカーも含め
、立山砂防軌道は上に出すタイプではないようだ。※車号は下の一覧でどうぞ
軸箱の支持は板バネが車軸の真上に。軸箱は左右のボルトで中心出し、
ライナー摩耗調節ボルトも丸見え。軸箱が落ちないように抜け止めも装着して・・・。
板バネ支持具と左右の軸箱ライナー止めはリベット止めのよう。
ボルトじゃダメなんですか?と、どこかの議員の名台詞?のように聞きたい。 |
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↑ 人車。両輪抱の基礎ブレーキ付き。ベンチの下に圧縮空気溜を装備。
機関車と違い、軸箱守は左右のコイルバネで支持。そのシンプルなこと。 |
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↑機廻しが終了して機関車はエンジン放熱中、車両は休憩?中
訪問時は冬期に備えて片付け中らしく、閑散としていた。
これが春だったら、工事用の資材荷揚で貨物続行の続行で賑わっていたと。残念二兎は追えず。 |
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↑さて、立山連峰は大地震で「大鳶、小鳶山」自体が崩壊してカルデラのような場所
に大量の土石が堆積し、豪雨の度に下流に甚大な被害をもたらして来た。 |
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↑国直轄で砂防ダムを春~秋にかけて、こつこつと砂防ダムを作り続けている。凄い岩ゴロ状況である。
※軌道敷設は下記の沿革で驚いてください。最初の運搬方法に富山県民でないのでオドロキました。 |
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↑↓建設重機を運び上げる白岩インクライン |
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↑最初に訪れた1977年の河床状態。
↓3年後1980年訪問時の河床状態。たった3年で激変している。
平野を守る砂防工事は自然相手・・・。 |
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↑大規模な砂防ダムとして「白岩堰堤」(通称白岩ダム)が建設された。 |
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↑一度に岩を落とすわけに行かないので、段々を付けて落とす。 |