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↑庄内交通湯野浜線最後のお盆。
↓ 列車は海水浴帰りで降りる人、帰省客や鶴岡市内で買い物した乗る人でホームは大混雑? |
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↑ パンタが上がっていない始発前。
4番線の表示がくたびれているが、国鉄鶴岡駅は3番線までだったのか・・・。 |
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↑まぁ、始発前の雰囲気を・・・。 |
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↑何やら気配がするので振り返ると、リャリャ~!!パンタを下げたままデハ101号が出庫してきましただ。
架線は検修庫の入り口まで。庫内に600V給電線がトグロ巻いて?、それを母線ジャンパに繋いで出庫してきました。
拡大で600V給電線が垂れ下がっているのが見えます。車輪に絡まれば一発ショートだけに中々怖い芸当ではあります。 |
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朝の数往復は3連。デハ101号と連結に来ました。
47年10月改正時点は2往復。
この写真は全線1閉の棒線運転の49年撮影なので
2往復は確認しているが正確な運行数は不明 |
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↑101号連結でモハ8+モハ7+モハ101の3連組成となる。 |
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↑大山川橋梁を行くモハ3+5
庄内交通は何が自慢か?って、
全線に建植されたトラス組みの鉄製の
架線柱が自慢と車掌さんが申しておりました。
昭和48年、49年の夏に訪問した写真をゴチャ掲載。 |
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↑善宝寺を発車する3連。パンタの舟体支持のバネがすごい。
中間のモハ7の車体は屋根が深い分、側面高さが短い
↓後撃ちする。 |
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↑善宝寺駅舎柱構え。鋳鉄製の柱受を使用している。梁
は柱を平板2枚で挟む低コスト構造。雪の重さに耐えるよう支えが多い
駅名板を余程発注したのか、柱毎に取付・・・。 |
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↑お風呂が内湯ですと旅館がアピールしている。
その昔、善宝寺地区は外湯巡りに値する銭湯があったのだろうか。
改札口左の駅名板に隣駅までの距離が記入されている(本当は各2.4キロ) |
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↑七窪駅に向かって山裾まわりで勾配に挑む 。最急勾配は25パーミル。
3両で登坂するとなると電圧ドロップがすごくなって、
低速で加速力無く、モーターはウンウン唸りかもと思うが。 |
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↑七窪方より善宝寺駅を撮影。交換設備が廃止されたので信号機が無くなっている。
約15ヶ月前までのダイヤではこの駅で早朝、日中、夜間以外の列車12本がここで交換していた。
全線所要が約26分(交換時間1分入れて)なので、やろうと思えば30分間隔の運転は可能であった。 |
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↑峠区間を行く モハ8+モハ7 ↑67からトリミング
↓35mmポジからトリミング。若かったから重連プレートで同時写 |
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↑↓善宝寺から七窪に向かって駆け下りてくるデハ101号 |
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↑↓七窪駅に下る。 |
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↑横位置ショット。モハ3+モハ5
同じ形式ながら窓数と扉配置、ベンチレータ数が違う。運転室が狭すぎると文句が出たか? |
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↑七窪駅。付近に人家があるとは思えない閑散とした場所のように見える。
海側の集落からこの丘まで登って来るのか?
昭和29年3月に七窪に車庫を新築したと言うが、この1年前、28年10月鶴岡に車庫を新築している。
電動車はこの時点でモハ1,3,5,デハ101,103が在線。モハ7の入線に備えたのか?
ひょっとして、車庫とはいうものの、塩害が避ける目的で新築して回送入庫したのか?
どう考えてもこの車両の規模で2カ所も車庫(整備機能)の必要性があるとは思えない。
ちなみに、七窪車庫が何時解体されたか、調査不足で不明。 |
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↑↓湯野浜温泉駅から勾配を登る遠景と近景(苦笑) |
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↑お屋根の凸が目立つ7号。
京王時代は鉄板のままの非絶縁?つるんつるんの坊主屋根の時代もあった。 |
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↑鶴岡に向かう。雨樋の塗装がボコボコに剥がれている。
モハ1,5と3はパンタの形が違う。
3号のパンタ船体の中段、上段の横梁が無い代わり×形が?? ■本稿を作成するに当たり、
鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯Ⅱ 庄内交通 金澤二郎様著を参考にさせて頂きました。
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