栗原電鉄(その2)
2023.04.15 Ver1.01(ページ分割)
宅急便のない時代,土砂災害復旧列車 
栗原電鉄若柳荷扱い
 ↑↓若柳駅事務室前の石畳。列車を停めて小荷物を前後の客扉からバンバン搬出。
4人がかりの総力戦? 精密部品輸送は無理そうです(苦笑)
栗原電鉄若柳荷扱い
栗原電鉄若柳荷扱い
 栗原電鉄の主役と言えばM15形   M151,M152,M153 3両
  ナローからの改軌が1955(昭和30)9.27完成して1067mm軌間の電車による旅客輸送が開始された。
   車体は岳南モハ1100の項で述べた標準化の地下水脈?
 車両のトップバッターとしてナニワ工機で一気に3両製造された。
   電気品は細倉鉱山が三菱なので、当然三菱電機製。最高速度は75km/hで穀倉地帯を快走した。 
栗原電鉄M15形152
細倉駅にて。 ホーム嵩上げの石積み位置はナローから改軌して車両が大型化
、車両限界も大きくなったので、若干後退させて上積みしている
栗原電鉄M15形151
↑トップナンバー M151 
栗原電鉄M15形153
 ↑↓M153
栗原電鉄M15形153
栗原電鉄M15形車内
 ↑M152の車内(半分)  蛍光灯カバーは破損防止を兼ねたシャレ乙なデザイン
 栗原電鉄の制御車と言えばC15形 C151、C152
  改軌当時の付随車は大正12川造製の阪急の木造車が2両、ナニワ工機で西武からと言われている中古の釣合梁台車を履かせて81→C141、86→C142として
昭和31年に竣工した。M15に木造の制御車とはなんとも珍妙な組成である。この際の走行スピードは一体何km/hだったのか?興味あるところ。
流石に木造車は鋼体化されることになって各車、1959(S34)、1960(S35)に西武所沢に入場、車体1mを伸長して15m化、M151と同様にした。
車体はM15の設計図をそのまま使用して乗務員室の分窓1つ増やして片運化、通風機も綺麗に同じ形に。完コピー車で登場した(としか思えない)
こうなると、「なにやらが」お得意の工場だけに台枠1m延長する大工事より、どこかのタネ車の台枠を流用、書類名義で1m延長?とも疑りたくなる。
当時、流用するに適当な15m車って?あくまでも店主のエアな推測です。
栗原電鉄CM15形151
 ↑C15の前面窓は一旦四角に切り抜いて内側から薄手鋼板をHゴム支持用に溶接。後から前面ガラスを入れる手法。
    山形交通三山線モハ107,110形等も同じ手法
    ※M15もHゴムを取りつける基本は同じだが、前面窓に枠材を沿わせて溶接、Hゴム嵌めしている点が相違。
栗原電鉄M15形151
栗原電鉄M15形153
1977訪問時 後方のC152の雨樋はほぼ真っ直ぐ。
1986訪問時。雨樋のドア上形状がM15のように大型に変更されている
栗原電鉄C15形152
栗原電鉄M15形151,C15形
 ↑C152とM151の並び。
運転台側にM15等が連結されて牽引されても大丈夫なように、後部標識灯が付いている。
栗原電鉄若柳ホーム
↑若柳駅に留置されるC152,C151。運転台は石越方向となっている。
栗原電鉄C15形152
栗原電鉄CM15形
栗原電鉄C15形152
栗原電鉄M15
↑石越から回送でやって来て、トレーラーを開放するために入替中 
災害復旧臨時貨物列車
 1986.08訪問前に栗原田町~尾松間(尾松側)で土砂崩れが発生し、土砂の除去工事が行われていた。
訪問時も作業列車が運行されると言うことで現場に行って撮影させて頂いた。
栗原電鉄ED25土砂災害復旧貨物
 ↑出発前
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車
 ↑尾松駅方向の災害現場に向かう
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車
 ↑↓人力スコップ作戦でト102、103に土砂を投入してゆく。
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂積み込み中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂積み込み中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂積み込み中
↑無蓋貨車ト102、103に投入される土砂だが、機関車を除いて全て木造車!
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂取卸中
 ↑↓取卸現場に到着。
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂取卸中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂取卸中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車推進運転
 取卸終了後、営業列車に道を空けるため推進にて栗駒へ戻る。
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車帰庫
↑↓作業終了後、栗駒で機関車と車掌車ワフを位置交換して若柳車庫に戻る。 
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車帰庫
1986年訪問時ダイヤ  
 通勤か通学者の要望があったのか、細倉始発は5時38分石越着6時17分になっている。
 国鉄接続ダイヤも東北新幹線が開業して長距離列車は壊滅。
 鉱山線列車は既に休止。1988(S63)10.27付廃止
 ※栗原電鉄1985(S60年)改正ダイヤに店主加筆作成
   栗原電鉄様が団体訪問用に増結、車種指定走行、臨時スジを設定してくださいました。
1977訪問時ダイヤ
 細倉始発が6時20分石越着7:01分のまったりしたダイヤ。この頃は鉱山も稼働中で鉱山貨物ダイヤが設定されている  
 国鉄接続には懐かしい列車名が記載されている。駅略号も面白い。「ウエ」なんて何処ぞの駅や!
M171編成は朝細倉の1番列車2レで石越へ3レで細倉返し8レで石越着回送91レで若柳入庫。(現認)
ダイヤ通りで行けば朝イチで下るためには学生帰宅狙いで98レ出庫回送、石越19レ→細倉24レ→
石越23レ(細倉泊)だったのか?でも、そんなに空気輸送したのか。細倉まで送り込み設定を作って
いたのかこの点が不明。ダイヤの(註)書が輸送力列車のようだが・・・。
※栗原電鉄は駅配線の関係で通常若柳で車両交換は基本やらず、石越迄回送を設定している。
  C15を細倉開放で留置き、拾て併結する列車もありそうで今更聞けないのが残念。 
 貨     車
栗原電鉄ト1形102、103
 ↑↓ト10形は貫通するブレーキ管を持っていたが自車ブレーキは足掛けブレーキのみの昔車両。
ブレーキシューが1軸2箇所しかありません。↑写真は101(端のみ)~103
栗原電鉄ト1形102、103
栗原電鉄ワフ70形71
 ワフ71  ↓ワフ74     ワフはエアタンク付けて貫通ブレーキが動作する。
この頃の国鉄貨車はほぼ2段リンク化されたが、高速走行しないので1段リンクバネ。
栗原電鉄ワフ70形74
栗原電鉄と言えばM18形182、183と言えない店主
栗原電鉄M182福島交通当時の5318
福島交通時代の写真 
店主としては栗原電鉄時代の現車を知らない(大涙)
福島交通の1500V昇圧で、同じ750Vの栗原電鉄が5318、5319号を譲受してM182,M183とした。
S46 日車製90kW×4。出力も大きいし、収容力も大きいので輸送力列車以外余り使用されなかったのではないかと推測。
栗原電鉄便所小屋
↑↓ストラクチャーとして。屋根瓦のズレ方や電線の引き回し等風雪を感じます
栗原電鉄便所小屋
栗原電鉄の資産の活用して若柳駅にくりはら田園鉄道公園ができました→こちら 2023.04現在のリンク
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