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日本のUSAにあった
大分交通 宇佐参宮線・日出生鉄道(大分交通豊洲線)
※2020.10 豊州線の地図が揃いました |
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↑宇佐八幡駅に到着する「かみばと号」キハ503
大分交通の国東、耶馬溪、宇佐参宮の各線の気動車は各車に愛称が付いていた
北九州鉄道S8.8ジハ21→鉄道省40321→払下S26.12でロングシート化、
エンジンをDA55Bに換装、廃線後は耶馬溪線に転じた |
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↑本来は起点の豊後高田駅から貼り付けるのだが、店主は宇佐←→宇佐八幡駅しか乗ってないので先掲。 |
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↑宇佐駅から豊後高田駅まで |
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↑国産リバーサルが真っ赤に変色してやがるのをムリムリ色抜きしたが、ほぼ白黒に近くなってしまった。
ハニフ114のサボが豊後高田行きになっている。
豊後高田~宇佐八幡間のピストン運転だったか?
国鉄宇佐~宇佐八幡間のピストンで無いと日豊線からの旅客多数をそんな事やってられないのでは?と今更ながらに思う当時の大混雑を思い出す店主。
帰路に乗車した列車は数両の客車の前後にD21、D22※がサンドイッチして国旗をはためかせ、お召し列車の如く走っていたのを車窓から顔を出して眺めていた。
餓鬼過ぎて大混雑の中、乗車した以外は覚えていない鉄優等生
※調査したら2台しか在籍していなかったDL |
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↑↓こんな近い位置に762mmゲージの大分交通豊州線があった。 |
日出生鉄道→豊州鉄道→大分交通豊洲線 |
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↑※この先の地図は最下段に追加しました |
762mmゲージ蒸気運転の日出生鉄道は大正3年5月23日開業、大正3年5月23日豊前善光寺~四日市~新豊川間を開業、以降、地図が無いので省きますが(笑)、大正11年2月4日に豊前二日市まで15.5kmが全通した。
しかし、沿線人口の少なさやバスとの競合等で経営難のまま、経営者が交代して社名を豊州鉄道とした。
この間、旅客運送を大正15年にガソリンカーに転換したものの、経営は改善せず、1067mmに改軌も出来ないまま、戦時交通統合でS20.4.20大分交通に吸収され、S26.10.14休止、S28.09.30廃止となった。
この項の経営部分は豊洲鉄道wikiを参考にさせて頂きました |
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日出夫(ひじゅう)鉄道 →大分交通豊洲(ほうしゅう)線の空中写真による路線探訪 |
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↑円座駅 |
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↑山林の谷間を縫って敷設され、集落も小さく、軽便とは言えよくぞ敷設したような状況
耶馬溪線もにたようなもので、バスと道路が敷設前にもう少し立派なら断念案件 |
本項作成につきまして
日本の私鉄Ⅳ、私鉄史ハンドブックともに和久田康雄様著、私鉄車両巡り特輯Ⅱ
奈良崎博保様、谷口良忠様共著以上鉄道図書刊行会発行、日本鉄道地図旅行帳12号新潮社発行を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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