ED17形 24号26号
たった3枚ですいません。 |
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↑のどかな国府津機関区久里浜支区に憩うED1725号24号機(この1枚のみ)
ハナタレガキは庫内に入っているので車体各所の撮影はあきらめています。 |
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↑乗務員ドアが偏っているED17があったとは初めて知った。なんせKWIモデルのED17しかシラン
世界でした。 |
1925年(T14)英国製6000形輸入6000〜6002号、1923年(T12)9月、横浜港荷揚げ中、関東大震災に遭って海没した3両の機関車を英国に返送、再製作した化身?である。
→1928年(S3)形式変更ED51形(1〜3)→1938年〜歯車比変更(大)工事→横須賀線で貨物運用→1970年(S45)廃車
蛇足:山下公園は関東大震災のガレキを埋めて出来た公園で、海没した車両を本国に送れなかったら、山下公園のガレキの一部になっていた鴨。 |
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↑速度計軸でよろしいんでしょうか。 |
ED27形11号12号
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■南武鉄道1000形機関車は昭和3年〜4年にかけて2両ずつ4両が増備され、
昭和18年国有化されてED34形となり、その後昭和32年にED27形に形式変更11〜14号となった。
1968年(S43)冬休み、京急久里浜から横須賀線久里浜へ歩いていたら久里浜機関支区があって撮影させて頂いた。
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↑廃車されて鉄条網が巻かれているED2711号と12号の連結部
後ろの架線柱は京急久里浜線 |
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↑ED2711号〜14号はこの写真以前には運転台小窓1/3当たりから中央寄りに乗務員ドアがあり、直下にステップがあった。
「1969世界鉄道」の写真を見るに砂箱が無かったので空転防止のために取付の邪魔になることからサイドの乗務員ドアを撤去して運転台窓も拡張したのではなかろうか |
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↑前面運転台左右の窓は鉄枠固定式だったが、
腐食のために外窓枠を新規再生して溶接し、
Hゴムはめ込みとしたのでは無かろうか |
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↑両サイドの乗務員ドアを埋め込んだあたりの鉄板の継ぎ目らしき所の塗料がはげている。偶然か |
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↑製造銘板 日立東京 昭和3年6月とある。製番は254と読める |
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↑床下機器ということで |
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↑連結部のナンバープレートは撤去されたのか盗難か |
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↑電留線のクハ111−4*号 |
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↑サロ111-13号1等車標記、冷改前 |
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↑垂れ流し装置の写真。廻りに飛び散って検修担当は大変な苦労をされたと思う。
まぁ踏切で一般人が浴びる事もままあったらしい。
「公害」をもじって「黄害」と呼ばれていた。
店主も小学校高学年時代、北九州の紫川でボート漕いで20系「あさかぜ」だったか見たくて近寄ったら、霧の様な物をまき散らしながら走ってきたので、必死こいて待避したが、霧を一部浴びちゃった様な気がしている。オエ〜ッ。
踏ん張ってしている方はそんなになっていることとは判らない。
※↑よく見たらレールが使用限度を超えているとしか見えない。電留線だから転用したのか。 |
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本稿作成に当たり「世界の鉄道1969」(朝日新聞社)、ED27、南武1000形のwikiを参考にさせて頂きました。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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