蒲原鉄道
モハ11形(11号、12号) モハ51形
撮影年1974.02(積雪)+1981.08(無雪)
2024.12.31UP/2025.01.10補訂 Ver1.03
蒲原鉄道モハ11形
 ↑モハ11  昭和5年3月 日車東京支店製造
蒲原、庄内共通のパンタ枠とパンタ舟体の間のバネ役
とみられる間のある構造は一体どのような動作をするのか

↓兄弟車 庄内交通 モハ1号 昭和4年製 日車東京支店製造
庄内交通モハ1形
  ↑↓庄内交通モハ1
当初、蒲原モハ11形と同じ車体だったが、昭和32.04.21(竣工)東洋工機で運転台脇小窓取付、客窓下降1段→上段固定下段上昇式2段化、それに合わせた前面、客窓の上下拡大等の更新を行ったため、車体の見附が変った。
蒲原鉄道モハ11形
 台枠(他車は車体等もあり)に会社名を表記
 国鉄工場入場や製造改造会社等の入場に際し国鉄線を走行する際に
どこの会社の車両か見分けが必要な表示だったのではないか?と推測
車体と客ドアの隙間はどちらが凹凸なんだろうか。車体っぽい気がする
ヘッドライト、尾灯の弱々しい電線露出がなんとも微笑ましい
↑パンタ擦板支持バネの動作(モハ11)
擦り板直下の部分が凹んで動作することが判明 
蒲原鉄道モハ11形
↑シンプルな室内と運転台
蒲原鉄道モハ11形台車
 ↑↓台枠からアングルが出て車体鋼材を支えている
東洋車両 形式不明台車
 ↑東洋車両製の形式不明台車
 主電動機の取り付けは軸距離が短いため台車の外側?に各1個で合計2個装備の路面電車的な仕様
軸受け周辺が鋳鋼ブロック品で、その他はアングル、軸間は厚帯板の鋲打ち組み立て式なので鋳鋼部分さえしっかり出来れば意外と製作が簡単な台車なのかも知れない

その取り付け方法も何やら貧弱そうに見える※写真はモハ11の台車
シロウト考えでは梃子の原理で電動機が装荷されていない側の車軸が簡単に浮きそうな気がするのだが?
中心ピンの位置の移動で補償しているようだ

しかし、台車を日車東京支店が何故自社で製作しなかったのか?
どういうツテで東洋車両に台車を発注したのかが最大の謎?
車体製作、艤装を日車東京支店が行って東洋車両に台車を発注、装着したと考えても良いのでは無いか?

 まさかのまさかであるが、この台車、東洋車両の在庫になっていて売り込みがあったのか?とか
【東洋車両??】
鉄の町、福岡県八幡市(現北九州市八幡区)に枝光鉄工所が発祥でその後大正11年に設立された東洋車両に大正12年に吸収され、工場も小倉市に移転し、通称は「東洋車両 小倉」としていたが、蒲原鉄道に台車を納品した翌年?の昭和6年に業績悪化で閉鎖されている
私鉄の電車もかなり製作しており、台車もブリル等のコピー品を充分製作可能であったと思われる
「東洋」言うと通常、東洋工機が思い出されるが、前身の日本鉄道自動車工業は昭和10年に設立されており、庄内、蒲原の車両が落成した当初はまだ会社が設立されていない。
蒲原鉄道モハ11形12号
 ↑ワンマン化改造前
蒲原鉄道モハ11形12号
 ワンマン運転するなら乗務員扉が必須と改造を強要
 呆れる国土交通省の担当者の石頭っぷり
運転室の最大幅(外板)が740mmで実際の内寸は720mm程度しかないところに幅500mmを欠く、この扉を無理くり増設。
元々の運転台(室)は上の運転台写真と同じで常識では考えられない??
車体の隅柱の処理はどうやったのか?体格の良い乗務員がいたらどうやって出入りするんだ!呆れを通り越す。
乗降の確認だけなら小窓で良いじゃ無いか?
全国探してもこのような馬鹿改造を強いられた車両はなさそうだ
モハ31以降は乗務員扉が新製(改造)時からあるので、ワンマン運行に必要な乗務員扉取り付け改造はこのモハ12号1両のみ
経営が苦しいからワンマン化するのに、無駄な改造費をかけさせる馬鹿役所の典型例
 モハ51
蒲原鉄道モハ11形12号
↑↓台車を振り替えただけで書類上の操作が必要だったのか
モハ13は開業以来の木造車デ1形2号を廃車して
S29.04にBrill76E1台車を履いて形式を改めてモハ51となった
履いていた台車は玉突き回しでモハ41号に使用した
台車を変更する如き?で形式を改める理由は何かあったのだろうか

↓Brill76E1台車の枕バネは線路に平行した形
板バネとコイルバネの組み合わせになっている。
東洋車両製のモハ11、12の枕バネは枕木方向
蒲原鉄道モハ51形
↑↓休車状態で留置されている
蒲原鉄道モハ51形
↑部品流用車になったような荒れたモハ51の車内
蒲原鉄道モハ51形
↑台車振り替え、形式変更の際に運転台上部のスイッチ類が整理されている
蒲原鉄道モハ51形
 ↑マスコンが直接式で路面電車の様態そのまま・・・。
DICK KER SYSTEM 東洋電機製造株式会社 東京の鋳出文字が
上部にTYPE DB1 FOR■K■と表記
マスコンハンドルにも鋳出し文字が。中々豪華な作り
ノッチ刻みの手前側がシリース4段で、さらに回してパラレルの4段?の刻み.レバースハンドル左側は後進2刻み 
参考資料:
鉄道図書刊行会 日本民営鉄道車両形式図集 上編、私鉄車両めぐり特輯(1) 蒲原鉄道 瀬古竜雄様著、(2)庄内交通 金沢二郎様著、電気車研究会 日本の電気機関車
鉄道ピクトリアルNo636 弘南鉄道 高嶋修一様著
朝日新聞社 世界の鉄道'69,'74,'75
ネコパブリシング 新 消えた轍上信越5 寺田裕一様著
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